Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ふりがな問題

ぶっちゃけ言えば大した問題ではないのだが、どうも以前から気になっていることを書いてみたい。
私はもう何年も前から新聞を購読することなく、ネット上のサイトなどで情報を集めている。ここに来て、日経新聞朝日新聞がネットサイトの一部有料化に踏み出しているが、これらはそう上手く行かないのではないかと感じている。それは、私として大手新聞社に一時情報以上の分析を期待していないという面があるからなのだが、今回のテーマとは異なるし既に幾度か触れてきたので今回は書かない。
それより気になるのが、こうしたニュースサイトにおける「ふりがな」の扱いである。少々難しいと思える言葉には「ふりがな」が振られるのだが、『ぶた蒲(かば)焼(やき)丼』と言った具合に括弧書きにより「ふりがな」が文章と同列で並べられている。文字の上に打たれることはない。
「ふりがな」を用いるに値する難解度かどうかと言う問題もあろうし、「ふりがな」を用いるかどうかについても各社ごとに方針がかなり違っているようにも見えるため一概に整理できないかもしれないが、それでもこうした括弧書きの記載は正直見づらいのである。

HTMLでもふりがなを振る(ルビをつける)というタグは存在する。

  • ruby></ruby> <rb></rb> <rp></rp> <rt></rt>

しかし、文字が小さくなることを恐れてかこれが用いられていない。未対応ブラウザがあると言うことも考えられる。HTML4.01では対応していないとあるが、それを考慮したものなのだろうか。

更に言えば、上記の例のように一文字ごとにふりがなを打たれると非常に読みにくい。仮に括弧書きの「ふりがな」を加えるにしても『ぶた蒲焼(かばやき)丼』の方が随分とマシなように感じる。
別にただで参考にさせて貰っているサイトの書き方に一ユーザーがクレームを付けるのも大人げないものだと思わなくもないのだが、本来読んで貰おうと考えているサイトならもっと読みやすくする方が良いのではないかな。。。なんて、老婆心で考えてしまうのだ。

などと考えていると、かつて新聞紙上でもふりがな廃止論などと言うものがあったことを知った。いや恥ずかしながらそんなことがあったことを知らなかったと言うべきだろう。
白水社編『ふりがな廢止論とその批判』http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/hyoon/YamamotoY/Furiganahaishi.html
昭和13年頃から劇作家で小説家でもあり、貴族院勅撰の国会議員でもあった山本有三wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%9C%89%E4%B8%89)が主導して行った運動である。代表作でもある『真実一路』や『路傍の石』については知っている人も多いだろう。
彼は、昭和13年4月に上梓した『戦争とふたりの夫人』のあとがきにおいて以下のように宣言した。

「私は考えるところがあって、この書物では、いっさい、ふりがなは使わないことにいたしました。(仮名遣いは現代に変えている)」

この宣言の中身は当時の社会に大きな議論を巻き起こした。彼は、ふりがなが無くても読める文章とすると考え、難しい漢字などを使わない文章構成を目指すこととしたのだが、彼が極度の近眼であり細かいふりがな(ルビ)のせいで目が悪くなったと考えて、その廃止に大きく舵を切ったという話もある。その真実はにわか仕込みの私にはわからないが、今のネット上での表記が似た議論となっているのが面白い。実はその過程で、最初に私が気になるとした括弧書きのふりがなを用いたこともあり、別の小説家などから文章の水増しだと批判されたりもしている。

ふりがな廃止論が今のブラウザ環境に関連するわけではないが、似たようなことが時代を超えて議論される可能性があることに少々感動したりもしている。それはともかく話を元に戻して、あくまで個人的な感想としてではあるものの小さくてもよいのでルビは言葉の上に付けて欲しい。ブラウザの文字拡大は容易にできるのだから、括弧書きで文章の流れを切らないようにして欲しいと思うのだ。もしくはポップアップで読みが見ることが出来るようにするという手もあるように思うのだがどうだろう。

「今も昔も行われる議論に変化がないことを見て、人の社会の不変を感じる。」