Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

現代姥捨て山考

あくまで思考実験として行うものであって、これが実行されれば良いという訳ではないことを最初に断っておきたい。

日本の高齢化率は世界でも最高レベルにある。同時に少子化の状態は改善されず、日本の人口は明確に減少へと舵を切った。年齢構成が変わらないままに人口減少に進んだとするならば単なる規模の縮小として考えることができるが、現状の日本が抱えている問題は全体としての人口減少に加えて生産者人口の急激な減少が想定されている。高齢化社会とは支える人口減減少して支えられる人口が増加することなので、支える側の負担は急激に増大していく。もちろんある時期が来れば高齢者の増加は停止する。高齢者層の本格的な死亡が始まるからである。統計データなどの予想により異なるだろうが、おおよそ30年後くらいには高齢者の増加は納まり安定した人口状態になると考えられている。
ただ、安定するとはいえども出生率が低い限りにおいて若年層の負担が改善するわけではない。あくまで負担の増大がストップするに過ぎない。それでも負担の増加が納まるのであればその状況で如何に日本という国家を運営していくかを考えればいいわけであり、現在のように保険料や年金が今後も増加して行き先が見通せないと言うことではない。五里霧中ではなく、目標を定めやすい状態になるのである。

要するに日本の人口問題の根本は、若い世代に対して高齢者が一時的とは言え増えすぎることなのだ。仮に人口分布が均衡化するまでの期間を約30年として、この苦難の30年間をどのように乗りきるかが現在も議論の中心にある。パッチワークではあったとしてもこの30年ほどを乗り切れるのであれば、おそらく現状のシステム(年金や医療制度を含めて)を根本的に変更することなしに対処できるだろう。具体的な例を挙げるならば現在政府が検討している年金のじりじりとした引き下げと、税金のじりじりとした引き上げである。
しかし、正直なところ従来の延長線のような方法で苦難の30年を本当に乗り切れるのかと言えば非常に心許ない。そして不十分だと感じている人が多いからこそ、過去の方法論から抜け出せない既成政党が見捨てられていく。

では、実際のところこの苦難の期間を日本は乗りきることができるのだろうか。これはなかなか難し問題である。
ギャンブルに近いが一つの方法としては、この苦難の時期をバブルにより乗り越えようという考え方がある。要するに仮初めの需要ではあっても苦しい時期を水増しにより乗りきろうという方法論だ。もちろん多くの弊害もある。バブルはいつか破綻する。そのショックが決して馬鹿にならないことは多くのトラウマを抱えた日本人ならよく知っている。加えて、一つのバブルで成長させられる期間などたかだか数年でしかない。30年以上という期間をバブルによって支えられるものではない。理想を言えばバブルではない健全な経済成長が成し遂げられることが理想である。ただ、そのためのシナリオはまだ見えてこない。
あるいは緻密な計画によりこの苦難の期間を何らかのかさ上げにより多少なりともカバーしようという考えも成り立つだろう。もっともその効果は気づかないほどの小さなものになってしまう可能性は低くない。

そしてもう一つの方法が、高齢者などに対する給付を引き下げてしまおうという考え方になる。実際に、程度は別にしてもおそらくそう言う方向に舵を切ることになるだろう。税と社会保障の一体改革とは言っても、経済のパイが増えないとすれば税を上げるか給付を減らすかしかない。成長戦略を前面に押し出してそれを成功しなければ、結局のところ給付減に移行するのは自明である。
これがどこまで耐えられるかと言うことになる。現在でも国民年金の額では老人一人が生活していけるかと言えば非常に心許ない。それ故により高い額をもらえる生活保護に走る。しかし支出を削ることが命題になるならば、いつかは生活保護費用も大きく削られるだろう。
行き着く先は、おそらく一人暮らしの老人で財産のない人は実質的に見捨てられていくことになる。もはや行政は手を出せないという状況になってしまうのではないかと危惧する。私も倫理的に許されることではないと思うしそのような社会を想像したくはないのだが、消極的にそういう状況に移行するのではないかと思う。今ある孤独死が、日常生活に深く入り込むわけだ。
これは、実質的に現代の姥捨て山と変わらない。

日本が成長を諦めると言うことは、こうした時代がくくることを消極的ではあるが認めると言うことだと私は思う。現状のままであれば問題あるまい。しかし、生産年齢の人たちが今の倍の社会保険と税金を徴収される状況を想定してみよう。それで現状と変わらぬ収入だとすれば生活が成り立つだろうか。もちろん一部の人は成り立つであろうが、多くの人は成り立たないと思う。
成長に依存することは確かにギャンブルに近い。しかし、そのギャンブルに頼らざるを得ない時代がすぐそこにまで来ているのではないかと感じる。

「最小不幸で留めようなどと考えれば、より多くの不幸を引き寄せる。不幸は集まるものなのだ。」