Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ジャーナリズムは安定業種たり得るか

仮にマスコミが完全なる反権力であるとすれば、そのマスコミが大きな組織になることはなかなか考えづらい。そもそも営利企業たるマスコミは、正義のために仕事をしているわけではない。本人達はそれを高らかに謳うかも知れないが、利益を得ることができなければ存続し得ないとすれば企業が取るべき道は明かであろう。その上で、反社会的だと言われない程度の正義感を見せるのである。

もっとも最近では、そのポーズとしてみせる正義感ですら怪しいものである。金融取引などの世界でも良く用いられる「ポジショントーク」が跋扈しているからだ。ただ、金融界のそれとは異なり自己の正当化や信用獲得のために用いられる。
自己の能力を最大限利用して自己利益を追求するのは、営利企業としては基本的なことでありわざわざ取り立てて言うべき話ではない。もっともそこに不公正さがあると考えられる場合には、法律には反していなくとも社会的なペナルティを加えられる。だから反社会的だと言われないようにするのは、社会的なペナルティを受けないためでもある。各新聞社が自分たちの正当性をコマーシャルなどを利用してまで訴えるのは、それを恐れての面が少なくないだろう。本来であれば、報道でこそその信頼性を訴えるべきなのだが。

マスコミとは大量の情報伝達手段(およびそれを行う企業)を言うが、マスコミとジャーナリズムは一致しない。マスコミの中に小さなジャーナリズムはあるかも知れないが、ジャーナリズムがマスコミを貫いてはいない。そもそも本当にそんな存在であるならば、おそらくそれは企業として存続し得ないであろう。だとすれば、ジャーナリズムとはマスコミという一企業に寄生する存在でもあるのだ。言い方は悪いがイメージ的な存在。中身は異なれど扱いはキャンペーンガールと大きく違いはしない。
そもそも、新聞などの報道が社会的に立派な存在だというイメージが持たれるようになったのは日本においてはほんの最近のことである。それもどちらかと言えば社会から自然に尊敬されるようになたものではなく、企業としてのイメージ戦略が成功した結果と言えなくもない。その目的は企業としての安定経営がそれである。経済成長に伴い販売部数を促進するという流れも大きく寄与したであろう。
すなわち、マスコミには見せかけのあるいは一過性のジャーナリズムしか存在し得ない。ジャーナリズムとは社会の悪を裁くことであろうが、単純刑法犯罪のみならともかく経済問題や格差問題を扱おうとすれば、ほとんどの場合は既得権益側を叩くことになる。それは安定大企業たる経営理念とは相容れないのだ。

ジャーナリズムを貫くとすれば、おそらく大企業を維持することはできない。もちろん中小企業でも経営を安定させることなどは至難の業であろう。すなわち、報道機関に正義を求めることは不可能なのだ。個人に求めることはできる。ただ、それは安定とはほど遠くなることを意味する。つまり、ジャーナリストとは大企業に身を寄せている者が自らを表現して言う言葉ではない。

「真の報道は個人に従属し、経営とは相反する。」