Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

理系文系の区分は止めたらどう?

今日本にとって最も必要な人材は何かと考えてみたとき、ジェネラリストが少ないのではないかと感じることがある。それは、日本においてリーダーが今ひとつ育ってないと感じることと同根であるような気がして仕方がない。
新聞などは日本産業の強みは技術力であるという。確かにその通りであろうが、だからと言って日本の技術力が世界最先端かと言われれば少し違う。抽象的なイメージ論で申し訳ないが、科学技術の最先端や根源技術はやはりアメリカががっちりと握っていて、日本はそれを実用的に(小さく、安く、より高性能に)改良をしたりなどの面で強い。だから、どちらかと言えば技術であっても技能に近い感じがするように思う。
その他の場面でも、ドイツのマイスターと同じように日本は職人の国なのだなぁと感じることがしばしばある。他の国々と比べれば技術というか個人的な技能に対するこだわりが非常に強い。技能ということでは、それは理系的な技術と必ずしも一致しない。そろばんをはじくのも技能であれば、植木の剪定も立派な技能である。技能的な個のスキルが尊重される感じがするのだ。

日本企業は最前線が優秀であるが上の判断が中途半端だと言われるのも、上司も同じように技能を駆使しようとするからこそ生じてしまう問題ではないのではないか。小さな職人の工房であれば、その技能のみを旨として全てを処理することも可能であろうが、一定以上の規模を持った企業などのマネージメントでは小さな工房と同じようにはいくまい。
欧米などでは、経営陣のマネージメントは非常に効率的で優秀である。ただ、逆に現場の処理能力は日本よりは劣る。技能者としてのこだわりが最前線ではあまり求められないからであろう。
逆に言えば、最前線のこだわりが強いからこそ日本のマネージメントはその絶対的な指揮を振るいきれないというジレンマもあるように思う。

理系トップによる職人工房の拡大版では時流には乗りきれず、文系トップにより欧米的マネージメントでは職人群を効果的に使いこなせない。このあたりに現状の日本企業の悩みの一部があるようにも感じている。もちろんその他の経済情勢の方が企業動向には短期的に大きな影響を与えるだろうが、もっと根本的な悩みが十分に力を生かし切れていない事由の一つにあるのではないだろうか。
これは技術系企業に所属しない私の勝手な思い込みかもしれないので、何か確固たる根拠があって言う話ではない。ただ、後発国から追い上げられているとは言えそれでも世界有数の技術力を誇る日本がなぜ苦境にあると言われるのか。それを考えたときに、潜在能力を生かし切れていない何かがあるのではないかと考えてしまうのである。
そこには政府や日銀などの無理解や無策にもあるだろうし、あるいは極端な円高などの経済状況もある。ただ全ての理由をそこに押しつけたからといって何かが変わる訳でも無かろう。

日本は、日本的なトップの姿を今後何年もかけて追い求めなければならないのだろうと思う。そこに求めるべき要素の一つとして当初にも書いたようにジェネラリストを育ているという部分がある。それは、理系や文系という型にはまった存在ではない。そもそも、理系・文系という枠組みは大学課程に明確に存在する訳ではない。実質的には学部によって分かれるのだが、それでも文系に分類される経済学部は数学無しに語れない分野も多く、一方で理系に分類される学部であっても全く理系的な勉強のみを行う訳ではない。
学習・研究内容以上に、社会にフィットしようとすればセクショナリズムを追求することは、一面でのアドバンテージではあっても他面から見れば大きな損失ともなり得る。もちろん、専門を追求することで成果を上げる分野があるのは確かだが、おそらく社会における多くの場面では専門分野以外のバランスが重要になる。
だとすれば、文系・理系などという心理的な枠組みを私達自身がまずは打ち破って、より幅広い知識を総合化する技術を手に入れる機会を持つことが重要になるであろう。大学においては教養学部としてその総合化を目指すところもあるが、私が提案したいのは博士号と経営者の二足のわらじがはける人材の育成ではないかと思う。
研究者は研究、経営者は経営という特化ではなく、その両者を専門的立場から考えることのできる人材。現状問題となっているポストドクターの問題も、単純に博士を増加させると言うだけでなくこうした博士が研究以外の企業経営にも携わる方向での道をもっと広げられないかと感じている。

もちろん、これは容易なことではない。2つ以上の専門的な知識を得るような努力を課すのだから決して簡単ではない。それでも何も経営と技術の両方の超エキスパートになれというのではなく、両者の勘所のわかる人材を増やしていくべきではないかと思うのである。すなわち、現状の行き詰まりを打破するためには(単なる科学技術に限らずに)技能的な職人の力を発揮させることができる経営というものをもっと追いかけても良いのではないだろうか。
だとすれば、理系と文系の垣根など必要はあるまい。

「区分分けは物事を理解させやすくするが、単純か故に実態と乖離してしまう。社会が複雑化すればそれに応じて企業経営の常識も変化させてもよい。」