Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

子離れ、親離れ

子離れのできない親、、、一方で山田昌弘氏が名付けたパラサイトシングルと表されるいつまでも親に頼る子供達。社会には、常識的には許容しがたい状況が意外と普通に存在する。現実に引きこもりを起こしている家庭の多くは比較的裕福な家庭であるという話も聞くが、その状況のみを考えれば一種の甘えであるという気にもなる。
もっともその甘えというのは寄生する側のみにあるのではなく、寄生することを許している側にも同時に存在する問題ではないかと感じる。子離れも親離れも、立ち位置は異なるもののお互いを必要としているという意味では同根なのだろう。すなわち、共依存現象である。
ニュースなどでは、必ずしも裕福ではない家庭のケースなどが取り上げられることも多いが、それが全てのケースを代弁している訳ではあるまい。

社会に余裕がない時代や地域であれば、本来子供は早期に独り立ちしなければ親子共々生きていけなかった。ところが幸いなことに現代の日本では独り立ちの時期が遅れても生きていくことが出来る。それはそれで幸せな時代かもしれないが、一方で生物的な人間社会のリズムを崩すことになる。安定はこの平和で豊かな時代が継続するという前提に立っているのだから、それが崩れれば前述の共依存現象は成立しない。
もちろん、まるで突然日本がギリシャ以上の状況になってしまうなんてことを想定しても意味がない。ただ、現状の多くの引きこもりという共依存現象がいつまでも維持できるとは限らないと言うこと、すなわち現状の平和と繁栄というダブルの僥倖無しには成立し得ないと言うことについては認識しておくべきであろう。その前提条件が徐々に崩れる可能性は十分ある。

子離れや親離れが進まない理由は、上記のような環境要因以外にも少子化核家族化に求めることができる。日本もほんの数十年前までは、4,5人の兄弟などよく見かけることができていた。現在は、子供のいる世帯の平均子供数が2.0を割ってきている。子供が少なくなればなるほど、生活が豊かであればあるほど、そしてもう一世代上の老親の面倒を見なくて良くなればなるほど、親の意識は子供に向かいやすい。それは子供に世話を焼くということだけでなく、一種世話を焼ける状況に親が精神的に依存しているのである。子供側からすれば、精神的には依存していなくとも資金的・物資的に依存する。結果的な相互補完による共依存と言える。
老親の世話・子供の世話に追い回されていた時代は、そこからの脱出が何よりも希求されていた。そして、核家族化や少子化に加えて比較的豊かになった国家は、私達の時間をそれらの世話からかなり取り戻すことに成功した。本来生み出された時間はより豊かな生活に振り向けられるはずにも関わらず、実は焼く必要のないと思えるような過度の干渉に形を変えたりして残っている。生きていく上での家族との関わりをそこに求めてしまうのだ。

現実には、大部分の家族は上記に示したような極端な共依存にまでは陥らない。ただ、愛情という言葉に名を借りながらもお互いに奇妙な形で関わり続けようとする無意識の意思が親離れや子離れの阻害を生み出し、その極端な例として引きこもりという形で現れている例も少なくないのではないだろうか。

それでは、これを防ぐことができるのかと言えばそれも容易ではない。お互いが意識して望まなくとも欠落しているモノを補完し合っている関係であるからこそ、その結びつきは深い。だとすれば、その結びつきを否定しながら妥協するよりはもっと積極的に活用できないものだろうか。
もちろん、この発想は突拍子もないことは十分理解しているが、敢えて一つこういう形もあるのではと言うものを提案してみたい。
親も子供に関わりたいというのであれば、かつてに日本でそれがあったように早婚化政策を採ればいいのではないだろうか。例えば、学生のうちから結婚させる。そして、当面の間生きていくために必要な部分は親の庇護を受ける。もちろん、そこには前提を設けて一定の期間の後には自立することも義務づける。
少子化や婚姻の減少には寄与するだろう。若年の婚姻を妨げる要因の一つにはお金の問題があるのは間違いない。何も同居しなければならない訳ではない。これからの時代は人口がどんどん減少していくわけだから、親のすぐ近くに住居を構えることもどんどんと容易になるだろう。学生の間の結婚であれば、転勤などを心配する必要もない。
自立心も養えるし少子化にも対応できる。そして大家族化への回帰も生じるかもしれない。
極論を言えば、その家族は本当に血が繋がっていなくとも良い。実際には犯罪に利用されるので容易ではないが、擬似的な大家族を楽しんでも良いのである。ただ、これは親離れや子離れとは関係ない。離れた関係を回帰させるという考えだ。

もっともこうした政策を現実に実行できる訳ではないので、おそらくは何らかのキャンペーンにより雰囲気作りをする程度しかできないだろうが、ちょっとくらい考えてみてもいいのではないかと思っている。

「離れられないのなら、離れないことを上手く利用することを考える。」