Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

苦しさのバロメーター

いい加減風物詩と化してきた韓国や中国の反日であるが、これは反日教育の結果であるのは論を待たないが、それが止まない原因としては韓国や中国の庶民の暮らしが一部を除いてそれほど改善されていないこともあるだろう。そもそも国民生活が豊かになれば、金持ち争わずではないが無駄な努力をする必要などないのである。

反日が一種の娯楽と化していることはかつてのエントリでも触れたが、これは日本で見られる嫌韓などの動きも非常に似ている。日本における嫌韓の動きは、韓流のごり押しなどでくすぶっていたものが顕在化したように見えるが、それは同時に日本国内の社会的な不透明さが大きく関係している。
上記にも書いたが、経済の調子が良ければ基本的には事をわざわざ荒立てたりはしない。仕事が上手く言ってない人がイライラしたり、すぐに人に当たり散らしたりというステレオタイプなイメージが存在するが、それに似た状況がそこにある。別に、当たる相手が韓国や中国でなくても構わない。実際、動きの悪い民主党政権も同じようにはけ口として利用されている。

貧すれば鈍するとは言い様だが、基本的に生活に余裕が無くなればそのいらだちを別の刺激に求めようとする。丁度そこに何らかの落ち度がある存在や気にくわない存在があれば、それに向かって鬱憤を晴らすのである。もちろん、加えて何らかの大義名分が存在すれば勢いも増そう。
この状況は、レベルに大きな違いがあるものの日本も韓国も中国も構図は同じようなものである。ただ、国民の苦しさが深刻な所ほど行動が過激になるというにすぎないし、それを理解するからこそ政府はガス抜きに利用している。
正直言えば中国のそれは非常にわかりやすいが、韓国の反日はちょっと複雑である。これも以前に書いたが、中国の鬱憤晴らし的な娯楽としての反日だけではなく、そこに日本に対する妬みというか嫉妬が絡んでいるから複雑になる。これを恨みであると捉える意見もよく見かけるが、私には恨みにかこつけようとしているように感じられて仕方がない。自分たちの持って行きようのない妬みの心情を恨みだと自己錯覚させていると思うのだ。
だから、ある特定の分野で日本を凌駕することにものすごいエネルギーを割く。それが継続的なものにならなければ一時的な勝利など鬱憤晴らしにしかならないのであるが、そもそも恨みよりは妬みが主な心情のためにその鬱憤晴らしでも十分に意味があるのだろう。

話が逸れてしまったようだ。何もここで韓国の反日心情を想像しようと思っている訳ではない。それよりは、このような他者を強く排斥する風潮が国民の不満の高まりにより引き起こされているのではないかという問題点が最も気になるのである。
確かに、日本国内では既得勢力が自らの保有する権益を守って汲々としており、それを叩くマスコミや政治家には喝采が与えられる。ただ、本来目指すべきは既存の権益にしがみついている人々が取り残されてしまうような成長を目指すことである。逆に言えば、あれだけ格差が大きく役人の腐敗も酷い中国であっても、まがりなりにも体制を維持できているというのは大きな経済成長により国民(中国の場合には人民)が夢を抱くことができたからかもしれない。ただ、ここでは「できた」と過去形で書いておこうと思う。成長の夢と希望は負の鬱憤を発散できる能力が非常に高いのであろう。

こうした不満を利用する政治は、時として熱狂的な支持を得ることがある。民主党政権交代を果たしたのもそれが理由であるし、橋下市長が未だ大きな支持を集めているのも細部は異なるが、大きく見れば同じ構図だと思う。それが全て悪いという訳ではない。世の中を大きく動かそうと考えるなら、国民の熱狂的な支持は有効な武器になる。それを独裁と否定する声も多いが、私は必ずしもそれを持って独裁とは思わない。
いや、独裁的ではあっても必要なことを為すのは、停滞した民主主義へのカンフル剤として完全に否定すべきではないと思う。ただ、だからと言って急激な改革がバラ色の未来を演出ことなどあり得ないのも事実である。少なくとも現状を続けるよりは遙かに大きな痛みを伴うだろう。その時に、熱狂的な支持がそのまま正反対の感情に変化することは十分に考えられる。

結局、上手く行かずに展望も見えない状況が生み出している感情的な行動が、反日嫌韓、嫌中などという形で現れている。それは、叩けるところを叩くという気分的な行動であるからこそ、気まぐれで移ろいやすい雰囲気である。中国などは以前よりそれが政府批判の大きな行動に発展しないように常に最大限の気を配ってきた。
今や、軍事的な行動をちらつかせることでその解消を図っているという意味では、結構危険な橋を渡りつつあるのではないかと危惧している。もはや中国にとっても日本などと本気で軍事的な意味での戦争をするメリットよりはデメリットの方が遙かに大きいのにである。

日本政府は内需拡大をもっと真剣に考えなければ、こうした雰囲気の醸成を黙認してしまうことになりかねない。それは、実を言えば結構怖いことだろうと思うのだ。

win-winという言葉がよく聞かれるが、それは協力してそれ以外の地域に勝とうという意味以上には捉えにくい。さて、日本は何処と協力して何処に勝つべきなのだろうか?」