Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

受験勉強

センター試験も終了し、いよいよ本格的な受験シーズンへの突入時機になってきた。
私の場合、大学受験など遙か彼方の昔であるし資格試験としても難易度の高いものは最近ではない。だから、近年の受験動向など正確にわかっているわけではないのだが、それでもいくつか思いつくポイントを挙げてみたいと思う。

まず最初は精神論からとなるが、受験は基本的に行きたい学校(大学)には必ず行くという強い信念が必要だと思う。
例えば、センター試験の結果を受けて受験校を変更(あるいは選択)するというのは、大変合理的な考え方だと思うもののあくまで自身の合格可能性を上げるという意味においてである。
遠い過去の話ではあるが、家庭の事情を考慮すれば実質的に受験可能な大学が1校しかなかった。即ちその大学に入るしか選択肢がなかったわけだが、逆に言えばそのことがモチベーションに大きく影響したのは間違いない。
例えば、入りたい理由はその大学のブランドが気に入っているでも、格好が良いからでも何でも良い。入りたいという願望を目標を強く定めること、これが最初に必要なのではないかと思う。センター試験の結果を受けて志望校を変えるというのは、逆に言えば選択肢が数多くあると言うことになる。すなわち、目標を変えられる自由があるのである。
人間というのは弱いもので、多くの場合には徐々にではあるが楽な方向に流れがちだ。
受験は、目標選択の自由度が低いほどがんばれるケースが少なくない。もちろん、個人の能力というものが絶対的な部分で影響するので、分不相応な願望を有していても実現は容易でないだろう。ただ、大学受験という限定された条件で言えば、少々分不相応というレベルであってもクリアは可能ではないかと私は思う。

さて、受験とはこれまで学習してきた成果を試験により競うことである。だから、原則論で言えばより多く勉強をしてきたものが強いと認識されがちである。もちろん、基本的に勉強の量が不足していれば話になりはしない。だが、多く勉強したからと言って試験でよい成績が取れるわけではない。
一般的に、良い成績を取るための方法は受験テクニックと呼ばれ、出題傾向や問題の解き方など様々なテクニックが公表され、あるいは予備校などの売り文句となっている。確かにこれらのテクニックも非常に重要だと思う。ただ、最も重要なことはこうした傾向や分析ではない。それは、如何に短時間に最適の方法論を見付けるかという論理的思考と、類型化されたパターン暗記ではないかと思うのだ。
実のところ、長い時間勉強したからと言ってこれらが容易に身につくことはない。

受験勉強を仕事に喩えるならば、勉強をたくさん行っても結果が伴わなければ意味がないことは容易にわかる。仕事においても関連する知識は十分すぎるほど有しているに越したことはないが、いくら知識があってもそれを使いこなせなければ意味がない。あるいは、知識が無くとも最小限の努力で成功を収める人が能力が高いと評価される。
受験でも同じである。努力に全く意味がないわけではないが、努力が目的になっては意味がない。受験勉強は長丁場であるが故に、勉強をすることが目的化しやすい。しかし、それは全く異なる。試験でよい成績を取ることが目的なのだ。
最も、人生を長い目で見ればその無駄な努力もどこかで生きるかもしれないのも事実ではあるが、その点については主旨からは外れるので置いておこう。

だと考えれば、自分にフィットする形で如何に効率的によい点を取る方法を早期に見付けられるか。そして、その方法を信じて精度を高めていけるかが重要なのである。
勉強方法については私が触れるまでもなく、各種様々なものが提案されている。種類が多いというのは、別角度で考えたならそれだけ様々な方法が求められている、即ち個々にフィットする勉強方法は千差万別だと言うことでもあろう。
一般に高校時代などに頭がよいと言われる人は、自分なりの無駄のない勉強方法を掴んでいる人のことである。そして、いくら勉強してもテストの成果が出ないと言うことは、おそらく自分にあった勉強方法を取ってないのだろう。

例えばセンター試験などを考えると、教科書から導けない問題はほとんど存在しない。すなわち、教科書をどのような方法で整理して頭に詰め込むかということが第一に問題となる。非効率なことをしていれば、時間などあっという間にくれてしまう。いくら寝食を忘れて勉強ばかりしたとしてもである。重要なのは、効率的に記憶することが重要なのだ。
そして、さらに加えればこの効率性は自ら生み出した方法であることが最も効果的である。先ほども書いたが、勉強方法は数々あれど自分に合う方法でなければ効率的にはならない。それは友人にフィットするからと言って自分に必ず合うとは限らないことである。ただ、多くの人が用いている方法は合いやすいかもしれないのも事実ではある。単なる確率論の問題だ。それでも、理想とすればそれを自ら見付けることが重要なのは間違いない。レディーメイドではなくオーダーメイドの勉強方法を見付けることが重要である。
もっとも一からそれを自分で考案する必要はない。数多くある勉強法を試していけばいい。ただ、その時に重要なことはなぜその方法が自分に合わないのかを自問自答し続けることがある。それがなければ、永遠に求める勉強法が見つからないと言うことになりかねない。

記憶をすると言うのは、知識を頭に詰め込むことである。上記のように効率的に頭に知識を入れるのは、受験するときのベースの部分である。そしてもう一つ重要なのは、その知識を最適な形で引き出すことである。その引き出し方には多少センスが関係すると思うが、あくまで受験レベルで考えるとすればセンスの差が絶対的な差を引き起こすわけではない。
問題を解くのに、自分の記憶しているどの知識が必要かを整合するトレーニングをすれば良いだけである。理想を言えば、問題を見た瞬間にどの解法を用いるのかが瞬時に思いつく。こうしたレベルになるまで多種の問題をどんどんと読み込み問題に慣れること。それを繰り返せば自然に答えが導けるようになる。
極論を言えば、問題集を用いて問題を解くときに答えまでたどり着く必要など無い。その解き方のみを整合させるシミュレーションを繰り返せばよい。これでいけば、おそらく通常より数倍早いスピードで問題集をクリアしていける。逆に言えば、数倍復習を行うこともできるし、数倍の新しい問題に接することもできる。
各問題ごとに、きちんと正答を記述する練習など時間がもったいない。それは、別にまとめて行えばよい。

ただし、やった気になるだけでは駄目だ。この方法で時間を省略してその分数多くの問題を解く練習に当てる。
何が問題かと言えば、勉強をかけた時間で考えるのではなく、こなした量で考えるべきだという方法論である。
如何に多くの問題に触れ、如何に多くの知識を得るか。そして、パターンを覚え込む。そのために無駄となることは最大限省く。

もっとも、この方法が常にそのまま仕事においても使えるとは限らない。それはパターン化が逆に悪さをすることがあるからである。パターン化は新たな発想を生み出さないのだ。
さて、この春にはどれだけの人が幸せを得て、どれだけの人が再起を期するのか。
とりあえずには、なるべく多くの人たちに幸あらんことを。

「効率的に記憶し、効率的に引き出す。入試は論理的思考による器用さと継続できる忍耐力を試している。」