Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

使える人、使えない人

 「あの人は使えない。」なんて言葉は職場でよく使われているかもしれないが、今回持ち出したいのはこうした意味での使える・使えないではなく、人を上手く使うことができる人・上手く使うことができない人の側の話である。
 実際、私も人を上手く使うのは得意な方ではない。すぐに自分が手を出してしまい、結果的に人の力をあまり十分に引き出せていないとよく悩む。人を上手く使う(活用する)ことは組織においては非常に重要なことにも関わらず、その手法はノウハウ本以上の何かをあまり見ることがないように感じている。
 ディベートの重要性なども取り上げられることは多いが、企業や組織ではそれ以上に重要となるのが上手い人の活用方法だと思う。

 トップがぐいぐいと組織を引っ張るような段階では、その人を周囲が適切にフォローすることが求められるし、逆に安定した組織運営が必要なときにはメンバー間の意思疎通が重要視され、企業業績の落ち込みを挽回する時には個々がそれぞれ組織を牽引すべく頑張ることが望まれる。
 ただ、一人一人がそのことを認識できるような組織は稀であり、多くの場合において求められているのとは異なる行動が組織の混迷を深めていく。それは、人をうまく使う(個人の裁量に大きく依存するが)仕組みが機能していないからではないだろうか。

 さて、大きなシステムとしての考え方はここでは置いておくとして、個人レベルで人をうまく使うには何が必要となるのであろうか。信頼感はどんなときにも重要であるが、必ずしもそれだけではないと思う。上手く人を使える人と使えない人の間にある違いは、細かなコントロールに対する得手不得手があるのかも知れないと感じている。使う側と使われる側の間に信頼感があるのは最低限のことであるが、この信頼感も仕事のみか普段の行動全般に対してかという違いがある。全体的な信頼感を勝ち取る方が良いようにも思えるが、それは依存心を招きかねないという点で必ずしもベストではない。
 それよりはむしろ、細かなサポート力が最も重要なのではないかと感じることが多い。信頼感と無関係ではないが、強い相関性がある訳でもない。上述の告白の通り、私は細かなサポートを数多くするくらいであれば、自分で処理してしまう(それを見せて勉強させる形とも言えるが)方が自分自身への精神的負荷が少ない。仮にその仕事における負荷が大きなものであったとしてもだ。
 しかし、冷静に考えれば業務の負荷が大きすぎるのであれば、小さなサポートを的確に出す方がトータルの負荷は少なくても済むのではないかと常に自分に向かって問いかけてきもした。

 例えば、勉強の方法でも毎日コツコツと積み重ねられる人もいれば、調子に乗れば一気に仕上げられる人もいる。どちらかと言えば私は後者に属する。バイオリズムが良ければ他の人よりも早く処理できるが、調子に乗るまでの時間がかかってしまうと言う感じである。
 もちろん大部分の人は波を有しているだろうが、それが大きいか小さいかでコツコツタイプか一気タイプかが分かれるのではないか。そして、一気タイプの人は少しずつという仕事のやり方をあまり得意にしない傾向があるように思う。
 まわりの人が付いてきてくれる上においては、人を巻き込むことはできるが人のフォローはできない。それでも人としての魅力があれば人は付いてきてくれるであろう。企業や組織の創生期にはこうしたケースの方が上手くいくことも多いのではないかと思う。閃きや直観に従い、すべてのメンバーが同じ方向に向かって一気呵成に進む。そのパワーと集中力を担保するのが中心たる社長や代表になるのだろうが、これは無意識のうちに人を使っていると言えなくはないものの、このトップが人を使える人かと問われればそうではないだろうと私は思う。

 「人を使う」という言葉は、予想以上に複雑な意味を内在している。その言葉に込められた意味は、単純に手足のように人を使い組織として最大限の効率を生み出すという意味にも捉えることもあれば、それとは別に組織の構成員たる個人に目を向けて個別の効率を最大化できるかと言う話でもある。
 私のように自分がやってしまうというのは、スタイルは違うかもしれないが人を強引に働かせて結果として組織的に成功するケースと根本的には同じではないだろうか。タスクを他人に課すか自分に課すかの違いでしかない。トポロジーにおいて取っ手付きコーヒーカップがドーナツと同じとみなされるように、誰がやるかの違いは組織においてはさして問題ではない。

 では、個のパフォーマンスを最大化するように動けば、それが組織的な最大化を成立させるかと言えば、これもまた違う。合成の誤謬と言う言葉があるように、個のパフォーマンスの最大化はほとんどの場合において組織の最大利益にはなりえない。個と組織の総合的なバランスを図ることができてこそ、目指すべき最大化が図れる。そして、人を使うということは(感覚的になのかもしれないが)この両者を睨んでバランスを調整できる能力なのだと思う。

 現在の私にそれができる力など全くあるとは思えないのだが、どう言ったスタイルが結果を最もよくできるかについては、これからもことあるごとに考えてみたいと思う。