Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

日本人の政治と民度

日本はかつて経済一流、政治は三流と呼ばれていた。
経済も一流とは言えなくなってきた時代、政治は三流どころか四流にまで落ちかかっている。
政治家のレベルが低いのは、結局それを選ぶ国民の民度が低いのだという意見をよく聞く。
しかし、同時に阪神淡路大震災東日本大震災の時の行動をもって、日本人の民度は高いと世界から賞賛される。
加えて言えば、政府の動きの悪さ故の復興が進まないとの状況もあるが、実際には経済的にも大震災からの信じられないスピードでの復興も成し遂げている。日本のメディアではあまり伝えられていないのだがこの点も海外からは驚きを持って受け止められている。

さて、こうした状況見たときに日本人の民度は本当に低いのであろうかと考えてしまう。
日本人である私達は、もちろん良い面も持っていれば悪い面ももっている。ただ、その良い面・悪い面は社会状況や文化的背景によって大きく変わる。自分の考えをはっきりと言わない日本人が海外では揶揄されるが、日本人が長い年月で培ってきた社会の中ではその方が上手くやれたという実績があったからのことであろう。それが海外に行けばもちろん文化的背景が異なるのだから、不適合が生じるのは当たり前のことである。
海外文化との接触を考えればこれまでの姿勢を少し変えた方が上手く行くというのはその通りであるが、逆に言えば日本に住む全ての日本人にそれを強いる必然性はない。

そもそも、日本は凶悪犯罪の発生率は世界的に見ても非常に少ない国である。まず、安全なのだ。もちろん、一時に比べれば物騒になったと言われている。しかし、殺人事件の発生件数は過去から比べれば減っている(最近は横ばい)し、強盗や強姦などの犯罪も世界的に見ればかなり少ない。
犯罪が少ないと言うことをもって、民度が高いと言うことは言えなくはないだろうか。

こう考えると、そもそも民度とは何なのだろうかという疑問が湧き起こる。
wikiによれば、「民度(みんど)とは特定に地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの程度を指す」としている(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E5%BA%A6)。非常に曖昧模糊とした概念ではあるが、社会混乱の引き起こし難さと考えればわからなくもない。
知的水準や教育水準が高ければ盲信に惑わされることもなく、文化水準が高ければ様々な文化が花開き、行動様式は緊急時などの秩序だった行動がそれを示す。教育水準については近年若干停滞気味ではあるが、全体を見る限り日本という国は十分に高い民度を有していると言っても良いと思う。

ところが、政治のレベルが低いのは民度が低いからだという言説が、その分野においてのみまかり通っているのはいかにも腑に落ちない。本当に民度が低いから政治のレベルが低いのだろうか。
私が思うに、民度が高いからこそ政治のレベルが低くても国の運営ができているのではないだろうか。それは、官僚機構が政治不在を一定レベルまで埋めることができるのも、民度に支えられた国全体の安定性があってのものではないかと思うのだ。
逆に言えば、高い政治力が必要な国とはそれだけ国が荒れやすい状態にあるが故ではないかと感じている。
それは、国内的に乱れているというのもあるだろうし、あるいは外国との衝突が常に存在するというのもあるかもしれない。もしくは、日本においても動乱の時期には優れた人物が輩出しているではないか。

逆に言えば日本人の民度が高いからこそ、そこに胡座をかいて政治家が無責任なレベルの低いことができるのでもあるのだろう。その上、日本国民は能力の低い政治家に非常に優しい。政治家を甘やかせるだけの民度の高さを誇っているとさえ言える。だからと言って、政治のレベルを上げるためにあえて緊張状態を作り出すのが良いというわけではない。日本においては、傑出した政治家が多数出てくるというということは、すなわち国の危機だと言うことに繋がるかもしれないのだから。

「経済が一流から落ちたと言われるが、一番の原因は長引く円高である。円高と震災というダブルパンチを受けたにしては日本経済は本当に踏ん張っているのである。」