Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

政治家は理想に殉じて良いか

今更ながらで申し訳ないが、私個人としては菅前総理は戦後最悪の総理であったと思っている。しかし、マスコミの論評は必ずしも全てがそうではないようだ。一部新聞などは積極的な評価をしているようにも見える。それは、過去の政権ができなかったことを指し示したからだそうである。
例えば、脱原発を打ち上げたり、TPP参加を積極的に表明したり。
確かに、過去の政権ではその必要がなかったせいもあるだろうが、事実としては菅前総理はそれまでの政権が行わなかったことを表明した。それは間違いない。

三権分立は、政治・行政・司法の独立を保つことで成立する。
司法は国民生活における公正さを、行政は適正な国民所得の再分配を担っている。
では、政治は何を担っているのだろうか?
専門家でもないために、自明のことを理解できずにいるだけなのかもしれないが、私は政治と行政の担うべき仕事の差異についてなかなか上手く理解できないでいた。
おそらく、国民の未来に向けての道筋をつけることがそれではないかと思うのだが、現状を見る限り未来と言うよりは現在すら満足には御し得ていないように感じている。

何が言いたいのかと言えば、政治の仕事場は議会である。議会は原則として法律を作る。
法律は、社会の不平等をその時点あるいは目指す未来に応じて是正するための手段である。
だから、司法はそれを基準として裁き、行政はそれに基づき業務を進める。
ただ、現実には高度に複雑になった現代社会では、未来に向けてと言うよりは過去のトラブルを最低限解決するために法律が制定されることは多い。もちろんそれは必要なことであるのだが、ただ敗戦処理のようなそれが本来望むような姿ではない。

行政は処理機関であって、確かに現状の情報は最も的確に把握しているであろう。
しかし、あくまで本来は現状の対処を行うための機関なのである。
菅前総理がなぜ最悪だと思ったのか。
それは行政の長でありながら、あやふやな未来しか語らなかった。
もっと言えば、あやふやな(理想とする)未来の代償として現実を生け贄にした(あるいはしようとしている)と考えているからである。
それでも、その理想の未来を信じる人たちにとっては甘美な言葉であっただろう。
その流れは、現在の野田政権においてもつながっているように見受けられる。

総理大臣は行政の長であるが、同時に政治家でもある。
政治家は個人として現実に関与できるのは、原則的には議会における立法を通じてである。
もちろん、現実には政党などのポストを通じて、あるいは個人の力量によって行政に影響を及ぼしうるかもしれない。
それでも、個人でできるとはたかだかしれている。
それ故に、主に未来を語る。
現実の処理は行政に任せて、その先を見るのだ。
もっともどれだけ先を見ているか、あるいは実現可能な未来を見ているかは、人それぞれであろう。

だから、現実として政治家や政党は理想に殉じようとする傾向がある。
そこには思考上の一貫性があり、それは社会において政治家としての地位をそれなりに向上させる。「ぶれない」と言われるたぐいのものである。
しかし、理想を実現するためには現実は一種否定されるべきものなのだ。
もちろん、そんなことを貫けば多くのトラブルが生じることは普通に考えればわかることである。
特に、内閣の一員となった政治家は当然そのことを認識していなければならない。要するに、自らの理想を現実に落としていく作業・思考をしなければならないのである。

では、行政はこうした理想を追求してはいけないのか?
それもいけないわけではない。
ただ、現実を政治家以上に無視してはいけないだけである。
だから、政治家が理想を追い求めて行政がそれに従う。
その構図自体は現状打破の上では悪い話ではない。
問題は、その理想に至る手段や方法をどれだけ冷静勝つ細微に見極めているかであろう。
繰り返しになるが、菅前総理はその課程に対するビジョンがなかった。

すなわち、政治家としてはある意味無責任に理想を主張することは許されているのだが、少なくとも内閣という行政の一員となったときにはそこに加えてその理想を実現する責任が付け加わる。だから、政治家は理想に殉じてもよいがそれは自らの理想が受け入れられない場合なのだ。
それを実現するためには、現実と理想のベストミックスを考えなければならない。
そして、行政はその解答を導くために機能しなければならない。

要するに政権についた以上は、いつまでも理想のみに拘って感じのよい言葉のみを発し続けるのではない。それだけのことなのだ。

「メディアが政治を国民に近づけたが、同時にメディアが政治の権威を貶めた。アジテーションがメディア受けがよく政治家がそれを多用するようになれば、政治は理想しか語らなくなる。」