Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

金とモノが溢れた状況の先に来る価値

 世界景気が下降気味であることは、すでに多くのメディアが取り上げ始めている。とは言え、「日本もアメリカも現状が不況なのか」と問われれば、「それは違う」と答えざるを得ない。収入に不満はあるものの、失業率は記録的に低く(フランス失業率、第2四半期は8.5%に改善 2008年末以来の低水準 - ロイター6月の完全失業率2.3% 女性は91年2月以来の低水準 :日本経済新聞)安定した雇用状況が続いているのだから。もっとも世界経済はすでに有機的かつ複雑に結びついており、一部の国家の破綻が世界的な危機を引き起こす可能性は今もある。それが中国になるのか、ドイツになるのかはわからない。ただ、リーマンショック後の制度設計(資金融通制度)により危険性は多少軽減されていると考えてよい。

 ところで、日本をはじめEUなど多くの国々は現在マイナス金利アングル:マイナス金利政策の仕組みと落とし穴 - ロイター)という異常な状況に置かれている。通常は金利が安ければその資金を利用して経済が活性化するのだが、長年の金融緩和により市場には資金があふれている状況(そのものではないが参考として:マネーストック統計のFAQ : 日本銀行 Bank of Japan)である。ローコストの資金であっても、借りる人がいない状況(正確に言えば、貸せる人がいない)である。世の中にお金を欲しい人は山ほどいるが、それを適切な金利を加えて返却できると思える人が少ないということである。逆に言えば有望な企業からすれば、いくらでもお金は借りられる。むしろ貸してくれる(投資したい)ところが多すぎて困るほどの状態になっている。

 特にIT系や生物・医療系を中心に、有望なベンチャー企業には多くの資金が集まり、あるいは大手企業に巨額で買収されるという状態になっている。素晴らしいアイデアを複数持っていれば、ベンチャーを設立し売っていくというビジネスも成り立つだろう。もちろん本当に有望なものであれば、自分で経営し成長させたほうが良いことは言うまでもない。

 

 さて、今回話題にしたかったのは少々話が変わる。本来、これだけお金がばらまかれた世界では、物価が上昇するというのが経済学の常識であった。経済が、お金とモノの二つの変数のみで動いているとすれば、お金が増えれば物の価値(価格)が上がり(インフレーション)、お金が減れば物の価値(価格)が下がる。要するに、お金とモノのバランスにより物価が変動するという単純な構図である。もちろん実際には様々な変動要因があり、そう容易に言い切ってよいものではないが、大枠に関しては何も変わらない。戦後のインフレーションは物資の極端な不足により発生し(お金もなかった)、あるいは対外債務の極端な増加や金融危機は、資金の引き上げにより極端なインフレをイ引き起こすこともある。もちろんお金が無くなり、その上で物が買えないため生じる現象である。

 だが、現在の世界経済ではそれは成立しない国家がある。その先駆けは日本だが、金利を下げてもお金をばらまいても、物価は遅々として上がらない。一般的にはデフレと呼称されている。日本政府が山ほど借金を重ね、その不安を財務省がいくら煽ってもである。だから多くの識者はデフレ脱却を叫ぶ。ところで、よく財務省が政府の借金を日本の借金のように胡麻化して増税の理由にしているという意見は聞くし、私もそういった懸念があると考えてきた。だが、実際には物価の上昇を意識的に誘導したかった面もあるのではないかと考えたりもする。いや、財政規律主義のほうが勝っているのは間違いないだろう。

 

 こうした状況に陥った最大の理由は、私たちの認識が過去に物資の量がお金よりも大きく経済を動かしてきた現象に未だこだわっていることが大きいと最近考えている。モノが少なかった時代、それは日本に住む若い人たちからすれば想像できないかもしれないが、ほんの数十年前には日本でも存在していたし、世界的に見れば多くの地域で当たり前の状況である。もちろんモノ自体は世界にあふれており、それを購入できるお金があるかどうかが問題とされる。

 そして、日本やアメリカ、あるいはEUの中でも特に先進国といわれる国々では、国家(政府ではなく)として資金を有しており、モノを潤沢に購入でき自分で生産することも可能。一部存在しないものや生産できないものも、貿易により容易に入手可能。そんな状態にある。こうした政府は、少々借金を重ねても物価が急上昇したりはしない。最近はやりのMMT現代貨幣理論 - Wikipedia)なども、そうした現象を利用しようとしたものだと理解している。現実には中国の経済躍進も、国内に大量のお金をばらまいたため(保有するドル以上の元を刷っている)に生じた仮初の反映である。とは言え、その状態が既成事実化されれば世界はそれを認めるようになる。少なくとも現在の中国の発展は、中国経済が今後も発展するという共通意識の上に成立しており、それを崩さないために中国は決して経済成長率を落とすことができない(数字上であっても)。

 

 日本人にも相対的な貧困生活を余儀なくされている人は存在し、モノとお金に溢れた社会だと納得できない人もいるかもしれないが、少なくとも世界最高の債権国であり、世界最先端の技術開発国でもある。国家としては、モノとお金の面で世界有数の恵まれた状態にある。もっとも、欧米のGDPはこの20年で数倍に成長したが、日本のそれは停滞したままであり、中国に余裕で追い抜かれてしまった(主要国のGDPをグラフ化してみる(最新) - ガベージニュース)。

 私たちの多くは閉塞感を感じずにはいられず、社会は停滞し、平均的な元気は失われているようにも見える。人々はチャレンジを恐れ、安全志向で老成化した社会と揶揄もされる。だが、ここで再度考える必要があるのは、お金とモノがあふれた社会はすでに実現してしまい、アメリカや中国の様にバブル的な思考を取り込めない日本やEUはその流れに乗り切れずにいること。その流れの中で勝ち組を探すのか、それとも違う新しい価値観を見出すのか。

 

 多くの識者たちは、現状の経済の流れの中で勝ち組になるための策を提唱する。財政支出GDPの拡大ために必要な方法である。私も短期的な対処としてそれは非常に需要だと思う。だが、その先はどうなのだろうか。

 いくら金融緩和しても、もはやモノがあふれる時代にはその効果が薄れていく。特にグローバル化の進展した現代社会では、安い仕事は海外に流れ、国内にお金はあっても投資に見合うリターンを得ることが困難になっている。例えば、アメリカを代表するような企業であるGAFAGAFA - Wikipedia:最近ではFANNGという括りもある)はすでに多国籍企業であり、アメリカにすら税金をあまり払わない方法で成長している。株式投資をする人には都合がよくとも、国家としては非常に都合が悪い。また、その投資先は国内景気など無視して中国等の儲かる場所に向けられる。現在の米中戦争は、ある意味においてグローバル企業の無法を止めるための戦いでもある。

 

 モノと金があふれる世界が、再度旧来の経済学が成立する世界に戻る方法はある。それは、戦争等によりモノが不足する状態になるか、あるいは世界的な金融不安の増大によるお金の価値の低下など、どうにかしてお金かモノの余裕を欠くことである。お金については正直短期的に難しいので、モノが不足という社会の方が現実的だろう。だが、それはたぶん戦争(あるいはそれに近い状況)の再来を意味する。私はそれを望みはしない。

 とすれば、私たちはお金もモノも溢れたこの時代における新しい価値観を指標としなければならない。それを獲得するために、お金とモノというリソースを費やすべきなのだ。それが生きがいなのか幸福なのか、あるいは自己実現なのはわからないが、アメリカで火が付き始めている社会主義の再興ではない。問題は、両者ともに個人により感じ方が異なるため、社会の共通的な指標となり難いこと。だが、それを見つけ出せる最もよいポジションに日本は立っていると私は思う。

 とすれば、現在敵視されているデフレという状況も、場合によっては新しい価値観を生み出すために必要な環境なのかもしれない。まあこうしたものは希望的な考えに過ぎないし、短期的にはお金を得ることは必須である。だが、できればその先を夢見てみたいものではある。

 

(追記)

 ここで書いていることは、以前にも触れたことがあるが、資本主義の次の社会を覆う理念を見つけることである。私たちが生きていきためのそれは、資本主義の中心たるモノとお金という基盤の上に成り立つため、それなしには達成しえないが、それが溢れた社会だからこそ必要になる指標を探し出すべきだろうということを書いている。