Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

悲しみの在り様

 随分前だが、多少似たようなエントリを書いたことがある。

  私は基本的に楽観主義者であり、日々を出来る限り楽観的に過ごそうとしている。そうする理由は、過去の経験から悲観的な精神でいることが人生にとってマイナスだと考えることによる。戦争なような身の危険と隣り合わせならば別だろうが、少なくとも私が過ごす時間はそこまで瞬間的な緊張を強要しない。もちろん、一定の時間制限で結果を出すという意味では緊張が皆無とは言わないが、それは備えるだけの時間が与えられている。物事を前向きに進めるためには、自分が積極的でいられる環境を整えるのが最適だと思っている訳だ。なるべく日々を笑って過ごしたいし、どんな困難な業務でも楽しめる側面を探そうとする。人の嫌がる仕事でもゲーム的要素を取り込み遊び、早く処理することでネガティブな心理状態に陥らないことを心がける。もちろん、嫌なことは嫌だし、避けたいと思う気持ちは持っている。ただ、年の功と言うべきか心理状態の扱い方に多少長けたということかもしれない。

 こうした考え方を持っていることから、他の人と比べれば感情の振れ幅が抑制的だと思うが、人だから感情の動きはもちろん存在する。自己評価に過ぎないが、ロボットのような非情な人よりは随分人情的なつもりである。自分にも他人にも、どちらかと言えば甘いと自認している。だが、悲しみや怒りの様なマイナスの感情を表すことは明らかに少なくなった。場の空気を読み人前で怒ったように振る舞うことはあっても、実際のところは感情の露出より問題対処にすぐに目を向ける。感情的に振る舞うとすれば、それにより他者の同意を得るための見せかけとしてになる。今は、感情を原動力として何かに邁進することはなくなった。そのことがプラスに働いているのか、あるいはマイナスに働いているのかは自分ではよくわからない。ただ、人として淡白になっているなとか、自分を誤魔化すことが上手くなった(感情があるように見せかける意味で)なとは思う。

 こんな事を考えていると、そう言えば子供のころ訳も分からず悲しくなったことを思い出した。多くは一人でいる時間。特段理由がある訳ではなく、急にとりとめのない不安感が襲ってくると言った感じ。別に親や先生に叱られた訳ではなく、友達との関係が悪くなったということでもない。ただ、自分が普段気づかないようにしている心の隙間に、何か良くないものが忍び込んでくるような感覚。当時、なぜそんな心持になったのかは今でははっきり覚えてはいない。ただ、そんな時代もあったかなと思いだす程度には記憶している程度。それは大泣きするような振れ幅ある悲しみではなく、だからと言ってセンチメンタルと呼べないようなもの。子供ゆえに感傷的に意味を理解できていたかどうかもわからないのである。

 家は決して裕福ではなくむしろ貧乏な方であったが、不幸に苛まれたことはなかった。金持ちの友人を羨ましいと思いもしたが、それを妬まなければならないほど追い込まれることもなかった。もちろん未成熟で不完全な子供の目であるから、自分の状況や置かれている意味を十分理解できていなかったのは言うまでもない。それでも、私は当時の状況にそれなりに納得し満足していた。そのような満たされたはずの状況でも、ふと訪れる不安感。幸せが壊れることを想像したものでもない。当時、幸せが何なのかなどと考えたことも無かった。一方で、明確で具体的な恐怖があったわけでもない。むしろ不明確な何かを勝手に感じ取り、それにおびえる感じ。暗闇に何かが潜んでいる様な、架空のあるいは潜在的な恐怖感の様なものを、自分の脳内で感じていたのではないかと思う。幼いが故の不安感と言っても良いかもしれない。

 そのよく分からないものが怖くて、涙を流すようなことはないが悲しさに心が支配されてしまうこと。もちろん子供同士での喧嘩や、今なら「いじめ」に分類されるような状況もあり、幾度も涙を流した記憶があるし、いたずらをして先生に強く叱られたことは数多くある。だが、ここで書いているのは号泣し感情を発するような悲しさではない。感情と一つ壁を隔てた様な悲しさ、寂しさ。あたかも感情の外側にある別の悲しさ。悲しさとは本来感情の動きであるはずなのに、感情の動きを伴わないそれは今となっては中々に不思議なものである。

 そう言えば今でも稀に、悲しいドラマを見ることで涙が自然に出そうになることもある。所謂、もらい泣きと呼称されるもの。心を揺さぶられた故の結果であろうが、それは突発的なあるいはマグマのような感情ではない。あたかも様式美のように「泣くべきタイミングで泣く」ための涙。感情から噴出する悲しさとはワンクッション置いており、むしろ知識的に泣く方が妥当だと感じるから出てくる反応のように思う。これは根拠のない不安感や怖さによるものではない。だが、これもなんだか感情とは別の理由で動かされている気がする。

 悲しみは喜びの対義語であり、喜びはやはり感情に起因するものだと思う。私には感情的な動きを伴わない喜びをイメージすることができない。人の感情は複雑であり、私が思う以外にも様々なパターンがあると思うし、そもそも悲しさという感情も単純な一つの感情表現ではない。多くの場合、小さな種々の感情の複合体であり、それに応じて多種多様な形を取る。嫌な事、辛い事から来る感情の爆発的なもの、静かに湧き上がってくる感情と知性の交じり合ったような悲しさ、そして寂りょうたる不安感が生み出す悲しさ。他にもさまざまなバリエーションがあるかもしれない。

 ところで、私は大人になるということは様々な面で鈍感になっていくことだと考えている。鈍感さは配慮が行き届かないことと同義ではないが、鈍感になるからこそ自己主張することも社会と強く相対することもできるようになる。感受性が高すぎればちょっとした中傷により自らの心が大きく傷つき、立ち直ることが容易ではなくなってしまう。それは創造性や共感力という側面では大切なことかもしれないが、社会で生きていくことを前提と考えるとき、必ずしもプラスには働かない。

 大人でも多くの人の言葉に耳を傾けられる人はいる。むしろ大人であるからこそ人の話を聞く余裕ができる面もあろう。だが、それは必ずしも強く共感するからではない。人の話を聞ける余裕を持てたからである。そして人の話を幅広く聞けるということは、感情的な共感力よりも知性的な共感力が高まっていることを示していると思う。主観ではなく客観的に状況や感情を理解する力。それが余裕に繋がるのかもしれないが、それはイコール鈍感力の適切な発揮ではないだろうか。心の中に何かクッションの様なものを常備している状況。

 子供も頃は、体の傷に対しても心の傷に対しても私たちは結構痛がりだ。この痛さを経験と言う耐性にで防御し痛みを感じにくすることが大人として求められる。だが、それは明確には伝えられない常識である。誰もそんなことは言わない、教えない。大人であれば当然それに耐えなければならないと言った不文律がある。反面、自分自身にとっても全ての事で体や心が傷つきまくっていれば、精神的に耐えられない側面がある。結局のところ学ぶまでもなく慣れなければやっていけない。そして、運が良いことに人間のは慣れることがある程度可能なようにできている。

 喧噪逞しい街中に住んでいてもいつの間にか眠れるようになり、結構忙しい日常に不満を呟きながらも、生きるか死ぬかまで追いつめられる人はそれほど多くない。だからこそニュースになれば大きく報道される。もちろん、そのような厳しい状況に追い込まれないのが一番であるが、たとえば孤独になってもそれなりに日々の過ごし方を見つけらる人も少なくない。一方で少しでも耐えられない人も、これまた結構な数でいる。人という存在は本当に多様なものなのだ。

 兎にも角にも、私は痛みや悲しみを耐えるための心理的方法論を手に入れ、それを無意識的に駆使して社会的な荒波を多少は乗り切れる自信を持つに至った。また、心理的な鈍感さを駆使して時には若い人の話に耳を傾け、何らかのアドバイスをすることもある。それがどの程度役立っているかはわからないが、全く無駄ではないと思いたい。

 しかし、年齢を重ねるごとに再び幼かった頃の様な鈍感さでは防ぎきれない寂寥感をふと感じることがある。おそらく原因は昔と同じではない。まだその理由を自分自身で十分分析・理解できていないが、能力低下に対する不安ではないかと想像している。あるいは死を何らかの形で意識することが関係しているのかもしれない。

 

 感情が爆発するような悲しさは、今のところ少々のことでは感じそうな気はしない。よほどの理不尽が自分を襲えば、あるいは想像しないような爆発があるかもしれないが、現時点ではイメージできない。親の死に際しても悲しみを感じることはなく、淡々と事実を受け入れた。もしこれから感情的に振る舞うようなことがあったとすれば、我ながらドライだと思うがその方が有利だという打算に裏打ちされた行動だと自分では見積もっている。いや、そうであろうと自分自身の心を教育してきた結果かもしれない。強くありたいと願い、結果として獲得した鈍感さ。前に出て立ち向かうときそれは有利に働くが、結果として喪失した何かがあるのかもしれない。むき出しの感情というエゴと欲望の塊のような存在を懐に仕舞い込んだ状況。それは、自分が生きていくための原動力であると思うのだが、それを隠したときに自分の行動原理は何に基づいているのだろうか。

 自分自身でないものねだりの様にも感じるが、その失った壊れやすく危なっかしいみずみずしさは、人としてかけがえのないものであったかもしれないと感じるのである。近年、切れる高齢者が社会問題となっているが、社会の迷惑を省みず個人的心情のみに立てば、その行為は若者のモラトリアムと同じかも知れない。衰えていく自分と日々向かい合い、その中で自分を肯定するための精一杯の行為。他者から見れば不快で、そして悲しむべき行動。だが、当人も別の意味で悲しさを抱えている。

 

 悲しさは、期待や希望とのギャップにより生れる。喜びが希望や期待を満足させること、時には予想以上の結果を得ることにより感じられるものだとすれば、悲しさも同じような関係性を持つ。そのため悲しさを感じるには、それに応じた期待や希望を胸に抱いていなければならない。愛情、執着心、探究心、チャレンジ精神、他にもいくつもの形があるだろうが、それは求めるということである。若者のそれには時間というアドバンテージがあり、高齢者のそれには時間がハンディキャップになる。同じ悲しみであっても、受け取る人の状況により内実は異なる。そして、悲しみを無くすほどに実は希望も薄まっていく。そう考えると、私は悲しさを消すためにどれだけの希望を失ってきたのであろうか。

 今でも夢は持っているし、それに向けた努力も自分なりに行っている。だが、今私が抱いている夢は、いつの間にか夢ではなく義務に変化していつのではないかと気づいてしまった。私の有する鈍感さはその認識にすら作用し、あたかも生き生きとした夢を持っているように誤認させているのではないか。だからこそ、義務を果たした安堵感を喜びとして認識しているにも関わらず、それに届かないことを悲しさという感情表現ではなく、寂りょうたる心理で受容する。

 子供のころ、将来的な夢というものがまだ十分に理解できなかったとき、私は心の中に上手く説明できない悲しさを感じた。それは、自己を確立する術を持たなかったが故に、自分自身の存在を不安に思った気持ち。現実とは異なる次元で受け止めた心理であるからこそ、感情とは異なる場所で感じた悲しさ。ひょっとすると、子供のころから感情から来る悲しさを相対化することで自己保身を図っていたのかもしれない。

 

 メディアなどでも怒りの感情を様々な形で吐き出す人が報道されるが、そんな存在を一面で羨ましく思いながら、同時にそうした感情の露出と距離を置きたくなる私の感情は虚ろである。だからこそ、普段から必死に楽しさを演出して表現するのに邁進している。ちょっと冷めた目で自分を見つめながら。