Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

希望と反日

 続けざまに似たテーマについて書くが、前回は韓国(バックでは中国)が仕掛けている「反日」戦が、彼らの思うとおりには進んでいないことを書いた。しかし、ここまで執拗に日本を貶めようとする動機の源泉が何処にあるのかは大変興味があることだ。
 シンシアリー氏はそれを「国家の成立起源(http://ameblo.jp/sincerelee/entry-11350561128.html)」に求めた。同じ様な説明は書籍やネットでもよく見かける。ただ、私はその考えに首肯する部分も少なくないが、さらにもう一つの変化があるのではないかと思う。確かに、かつての「反日」の主体はそうだったかもしれないが、私は昨今「希望」が「反日」の根底に控えているのではないかと考えている。
 産経新聞の黒田氏によれば、韓国における「反日」そのものは昔の方が酷かった(http://blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/40008478.html)と言う。最近の「反日」とかつての「反日」に繋がりが無いとは言えないが、それは必ずしも同じものではないのではないか。

 日本もバブルの頃のように、「日本列島を売れば世界中を買える」などと浮かれていた時代があった。それと同じとは言わないが、韓国は届かない敵であった日本がAKBのように身近な標的へと認識が変わった時期があろう。最大は、ポスコサムスン、あるいは現代自動車の巨大化・グローバル化であろう。
 少なくとも「日本にきっと追いつき追い越せる」という希望を抱いたのは、韓国の最近の様々な言動からも窺い知れる。もう必ずしも手の届かない敵ではなくなった、と少なくとも多くの韓国国民は感じただろう。同じようなことは現在の中国でも進行している。

 現在の世界で行われていることが必ずしも平等であるとは、私もそれを信じるほどお人よしではない。ただ、ベストではないとしても中国やロシアが世界を主導する時に発生するであろうと予測できる不平等よりはマシではないかとも同時に思う。程度の低いベターでかつ、その優位性は欧米に偏っているかもしれない。日本は、欧米に追随する形を取ることで、彼らほどではないが一定の優位な地位を国際社会において得ている。
 その姿を外から見てきた時、日本との差があまりに大きすぎれば国家としては諦めながら、個人として反感を抱くという状況がある。それが過去の韓国の姿であったのではないだろうか。要するに、国家としての日本には敵わないが、個人レベルの日本人には負けないというも猛烈な自負心だと思う。
 スポーツにおいて韓国は昔から日本戦だけには異常な力を発揮してきた。これも、国家として失ったプライドを個別の競技で取り戻す(実際には不可能だと私は思うが)という代償行為としての「反日」である。もちろん、最も直接的なものは記憶の中にあった日本に併合されたという屈辱感があったことは言うまでもない。

 ところが、現在の「反日」は記憶ではなく記録に根差している。もっとも、日本は韓国の持ち出す記録には根拠がないと現在も言っている。実際その通りの部分は多く、彼ら自身も信じたいけど疑わしいという心境は一部持っているだろう。だから実のところ現在の「反日」は、必ずしも記憶に根付いた深い感情を根拠としていないだけに心の動きとしては浅く軽い。すなわち、一面においてゲーム感覚の「反日」なのだ。だから、黒田氏などは今の「反日」は昔ほどではないという感想を抱くのであろう。
 これがゲーム感覚になる理由の別の面は、先ほども書いてきた日本に国家として追いつけるかという希望の部分がある。一対一の個人やスポーツ競技という個別ではなく、総合的な面で日本に勝つという夢がそこには潜んでいるように感じている。

 個別の勝利を積み重ねても決して総体として追いつけないと感じていた過去が、個別の勝ちを積み重ねることにより追いつき逆転できると希望を持ってしまった。そして、勝てるという旗振り役を実質的に担っているのが政府とメディアである。
 最初は夢物語ではあるが、大いなる野望として掲げていたものであったが、いつしかそれは実現しなければならないものになってしまった。そして、実現のためにはあらゆる手段を執る。一つ一つ勝っていけば、相対で日本を勝ることができるという希望が、逆に言えば一つ一つ勝たなければそれが実現できないというネガティブ側に働いている。

 韓国人からすれば日本は悪でなければならないが、それが記憶から生まれる感情に根ざすものではなく、教えられた記録に基づく義務感となっているという訳だ。単純な癇癪ではなく説得を要する事柄として存在している。もちろん私や多くの日本人からすれば、その根拠は事実に基づかない、あるいは過大な宣伝が含まれたものであって、前提条件そのものが間違っているとなる。
 現状の争いは、お互いの前提条件がまるっきり異なっているが故に、基本的に噛み合うことはない。そして彼らの抱く前提条件の裏側には日本を追い抜くという「黒い」希望が燦然と輝いている。以前より、韓国の「反日」が消えるのは韓国が日本より高い経済力や国際的地位を得て、「反」が「侮」に変わる時しかないと考えているが、それこそが彼らの希望が成就する時であろう。

 とは言えどのような認識であろうとも、「反日」は一部のリベラル系識者や政治家が言うように日本が謝罪を表明すれば終わるものではない。日本が常に韓国に頭が上がらないようにならなければ、「態度が傲慢だ」とか「妄言を止めない」などと毎回繰り返す。同じことは既にもう20年も続けているではないか。韓国の政治指導者達は何度未来志向で過去は蒸し返さないと約束したか、その内容をメディアが何度掲載してきたか。
 結局、不毛な争いが終了するのは、希望が叶う時かもしくは希望を捨て去る時でしかない。逆に言えば、「希望」が「反日」の肝であろう。あるいは長い年月を掛けて、韓国文化が変わることを期待する手もあるのかも知れないが、おそらくそれが成就するまで私は生きていないだろう。