翻訳口調
全くどうでもいい話なのだが、いつも海外サッカーの選手インタビューを見ていると、常に同じ翻訳者が携わっているような錯覚にとらわれる。
例えば、イングランドプレミアリーグの著名選手であるマンチェスターユナイテッドのウェイン・ルーニー選手のインタビュー(http://www.sanspo.com/soccer/news/20131111/pre13111116210009-n1.html)で
「最高の結果だね。アーセナルは素晴らしいチームだけど、僕らは勝たなければならなかったんだ。今日の試合は(今シーズンで)一番厳しい試合だったよ。今日の守備は素晴らしかった。そして、ロビンがゴールを決めてくれたんだ。今日の勝利はチーム全員の勝利だよ」
「今日の試合で負けられないことは、全員が理解していた。もし負けていたら、アーセナルとの勝ち点差は11になっていたんだからね。ほかのクラブの結果を見て、今日の試合で勝てば、上位に食い込んでいけると分かっていたんだ」
と記事になっているが、先日の対戦相手であったアーセナルのジャック・ウィルシャー選手のインタビューはこうだ。
「落胆しているよ。終了間際にいくつかのチャンスはつくったけど、結果を残すことができなかったんだからね。だけど、まだ僕らは首位に立っている。頭を整理して、ホームのサウサンプトン戦に向けて準備をしたい。そして、また前進していけたらいいね」
「全体的に素晴らしい一週間だったよ。リバプールを下し、敵地でドルトムントに勝ったんだ。このような結果を残すチームは、あまり多くはないからね。敵地でのユナイテッド戦に勝つことは本当に難しいんだ。彼らは強いチームだしね。だから、1週間を振り返って、ポジティブに考えたい」
まるで同一人物が話しているかと思うほどに、口調が似通っている。もし仮に私が翻訳していたとすればおそらく違った口調とすると思うのだが、このステレオタイプには何か隠れた決まり事があるのだろうか。ネットで検索するとこうしたものを「翻訳口調」と呼ぶようなのだが、なぜこんな独特のスタイルが生まれたのかにはちょっと興味をそそられる。全ての翻訳を同じ人が手掛けているはずもなく、こうした口調が好まれるという明確な理由があるのだろうか?
この翻訳口調については、こうした新聞におけるインタビュー以外にも、翻訳された小説などでも決まったパターンがあるという人もいる(http://koebu.com/topic/%E3%80%90%E5%8F%B0%E8%A9%9E%E3%80%91%E7%BF%BB%E8%A8%B3%E5%8F%A3%E8%AA%BF%E3%81%A7%E5%8F%8B%E3%81%A0%E3%81%A1%E3%82%92%E6%85%B0%E3%82%81%E3%82%88%E3%81%86)。そういえば、かつて子供のころに聞いた海外の童話や昔話も似たような口調だったような気がする(ちなみに妖怪人間ベムに登場するベロも近い)。
こうした口調が用いられる理由として想像できるのは、日本人が何となく抱く欧米人の口調などから類推されるイメージなのだからではないだろうか。典型的な日本人像や中国人像、あるいはアメリカ人像などはそれ自体が一つの記号のように扱われており実際とはかけ離れているが、それでも何故だかわかりやすい。
しかしこれがまた微妙だと思うのは、自分の友人にこんな口調で話す人がいたとすればちょっと引いてしまうのではないかと思うことである。いかにも親しげな口調ばかりを用いる相手がいたならば、私などからすればまず疑いにかかってしまう。もちろん昔からの友人であれば別なのだが、もしルー大柴(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E5%A4%A7%E6%9F%B4)氏のようなタイプの人がすぐ近くで話している状況を想像すると、ちょっと、、、ほんのわずかだと強調しておきたいが、いらっとする。
これは、明らかに日本人ではないということを強調するための翻訳手法なのかもしれない。