Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

在日特権

 先日、読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」という番組で、在日韓国人通名(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%90%8D)を変更することで利益を得ている(これを在日特権としている)などとの出演者による発言がコリアNGOセンター(http://korea-ngo.org/)などから問題視され、部分的とはいえ番組から謝罪の言葉が出された(http://www.asahi.com/national/update/1103/OSK201311030014.html?ref=dwango)。しかし、現実には発言通りの犯罪が明らかにされたことで、全てではないものの問題の所在が明らかになった。

 名を5回変更…韓国籍の男、通称悪用し携帯詐取(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131102-OYT1T00532.htm

 要するに、通名は登録されるので本人としての犯罪履歴が残るという部分はその通りであるが、繰り返し変更することにより一時的とはいえ処理を混乱させて犯罪行為に利用できるというのは間違いではないということになる。これは所謂「身分ロンダリング(http://web.archive.org/web/20120712004347/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/07/08/2012070800092.html)」と呼ばれる行為で、韓国でも名前の変更が容易になったことから追及の困難さを悪用しているとの指摘もある。

 在日特権として通名問題が前面に出ているかもしれないが、制度的には現在問題とされるほどに大きな特権はないかもしれない(ネット上では送金を利用した税回避などいろいろと取り上げられているが、現状では私の調査能力不足もあり事実なのかはわからない)。むしろそれよりも、現在の在日問題の根幹は部落差別問題に通じると私は考えている。すなわち弱者保護政策や活動が弱者特権と認識されているのである。大きな声で騒ぎ圧力団体として活動し、それを利権としている一部の不届き者がいるからこそ、「特権」と扱い反発を受ける。
 さらに言えば、かつては現実に補助金の扱いや住民税免除などの利益を得てきたという事実もある。その経緯もまさに国内における部落問題と変わらない。そして、彼らの暴力的なふるまいを見てきてあるいは体験した人も決して少なくない。
 確かに、不幸な境遇(貧困など)にあったことは理解するが、韓国人・朝鮮人の場合にはそれを日本が強制的に連れてきたなどというデマにより正当化していることも、多くの日本人には許し難いと感じられているところであろう。弱者保護を叫ぶ側は(心理的な)差別があると言い、弱者特権を問題視する側は訴える差別に比して権利が勝ちすぎると主張する。どちらも主観的に訴える故に、そのバランスを上手く取ることは困難だ。

 もう一つは、文化的な違いがもたらす対立という面もある。よく、外国人が住宅を借りることが困難であるという話が持ち出される。この主たる理由は外国人を差別しているのではなく、文化的な風習の違いがトラブルを招いているために忌避されている面が少なくない。全ての差別がないというほどにお花畑ではないし、こうした差別がなくなることを期待したいが、条件的には他の在日外国人と変わるわけではない。だとすれば、日本人に合わせた通名を使用することに一定のメリットがあるということの裏返しであるようにも思う。
 日本側としても寛容な心で異なる文化に接するべきだとは思うが、それは少なくともお互いさまの精神の共通認識があって成立することである。ところが、実際には多くの場合においてお互いさまの精神が外国人には通用していないことが多い。そして在日韓国人の場合にも全く同じことが言える。
 外国人の風習を理解すると同じだけ、日本の習慣や風習も理解して協力しなければ共生は成り立たないが、これが蔑ろにされるケースは決して少なくはない。これは欧州における移民問題でも大枠としては何も変わらない。

 受け入れるということは、受け入れ側が許容できる範囲での同一化が求められるのだが、その同一化を受け入れていない現状が軋轢を引き起こす。もちろん、民族のアイデンティティを尊重することを否定するつもりはないが、同じ民族同士でのコミュニティを形成して日本人社会とのつながりを実質的に絶ってしまえば、そこには共生という概念は形成しえない。
 そして、共生という流れを経ずに団体の圧力により利益を得ようとし、あるいは主張を押し通そうとする。昔から、在日批判の番組を報道すると仕事にならないほどの非難の電話などが起こり、それを忌避するために触れなくなったとの話は多い(真偽のほどはわからないが、部落問題と近いと考えれば納得できる)。

 在日特権に関して言えば、もはや三世四世が当たり前の時代にまで、過去の特権を引きずる必然性は薄れていると思う。朝鮮半島出身とかではなくすべての在日外国人は同じ制度により同じ権利が保障される仕組みにすることが重要ではないだろうか。
 逆に言えば、同じ在日外国人であって韓国籍朝鮮籍の人のみがもし優遇されているとすれば、これこそがグローバル社会における差別の一種だとも言えなくはない。朝鮮学校に対する補助金などの件も全く同じであり、その存在こそが「在日(韓国・朝鮮人)特権」だと言われてもおかしくないと思う。
 本当に韓国人や朝鮮人として日本における地位を確立したいと思うのであれば、一時期のトラブルはあると思うが通名で日本人の名を用いるのではなく、民族名をきちんと名乗ることが最初のハードルではないだろうか。今は、それを受け入れられるほどに日本の民度は成熟しつつあると私は思う。確かに一部の跳ね返りはいるし、差別もいろいろな場所で遭遇するだろう。それを無くすことが重要だと私も思う。あるいは、日本の経済優位性が低下したことも一因であるのも間違いないと思う。
 ただ、弱者保護に名を借りた弱者優遇から抜け出せない限りにおいて、現状の風潮が変化することはないだろう。