Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

帰国難民

 中国での成功を夢見て、日本を飛び出す人たちをテレビ番組などが取り上げている事例を見たのはほんの数年前であっただろうか。日本はもう駄目だとメディアが宣伝の一翼を担い、一部のチャレンジャブルな人たちに海外への出発を促していたのは、政府がブラジルなどの移民を推奨した状況にもかつての出来事に重なる。
 しかし反日暴動に端を発した日本人いじめの状況は、今はこうした夢を追いかける人たちを追い出し始めた(http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20131024/zsp1310241530004-n1.htm)。こうなることはある程度予想できていたことではあるが、それでも巨大な人口を抱える中国市場はリスク以上においしそうに見えたのである。実際、対中投資が減ったとはいえまだその規模は大きい。「チャイナプラスワン」と東南アジアへのシフトが叫ばれるが、あくまでプラスワンという言葉にも社会基盤や労働者の教育レベルでは中国にかなわない面が残る。

 江沢民以降の反日教育により育った人民の意識は、仮に反日を明日止めたとしても急には変わらない。この状況では理屈など何でもよく、現状の不満を逸らすことのできる生贄は政府のみならず多くの人民も求めているのだと私は思う。また、巨大な個人主義国家である中国という国家を維持することは、現在のままでの民主化を実現するという夢を語るよりもずっと生々しい。
 大きいからこそ現在の世界における地位を維持できるという根本的な事実を、誰も(もちろん大部分は漢民族である)が口にはしないものの無意識のうちに理解している。分裂することは、これまで得た権益を手放すことであり、再び経済闘争の再出発を余儀なくされることでもある。
 そして、困難なその国家体制は供物無しには容易に維持し得ない。果たしてその捧げ物は、日本という仮想敵国に照準を合わせている。人民の意識を統一するための敵は本来何でも良いのだが、今は日本にかなり絞られている。その結果として、中国の社会体制が揺らげば揺らぐほどにカードは何度も用いられる。
 それでも韓国の場合とおおよそ同じように、大部分の人民はファッションやノリ(あるいは仕事)としての反日はあっても、真剣にそれを遂行する状況ではない。もちろん、ノリで暴動において被害を受ける企業などは堪ったものでは無い訳だが、戦後の反体制運動などと比べても信念には欠ける。

 そんな腰の据わらない反日状況ではあっても、もちろん経済活動には大きな支障をきたす。ましてやそこでの成功を夢見て飛び込んだにも関わらず、帰らなければならなかった人たちのショックは小さくないだろう。私がそれを斟酌できるとも思わないが、気持ちが強ければ強いほどに反動も大きかったのではないかと思う。
 ところが、日本に戻ったからと言って新たなチャレンジができるかと言えば、これは更に難しい。もともと日本の閉塞感を嫌い、あるいは日本よりは可能性の高い成功を夢見て飛び出したのである。その理由となった障害は現状何も消え去っている訳ではない。おそらく抱いていた夢の代替物が日本で容易に見つかるとは考えにくい。
 一時期に比べれば多少景気が上向きつつあるかも知れないが、中国で叶えようとした夢を仮に日本で続けようとしたとしても、精神的には同じポジションを維持するのは誰もが難しいことである。中国語関係の仕事も既に中国人留学生がいることで過当競争になっているのは記事にあるとおりだが、中国でのチャレンジがそのまま経験として生かせない状況がある。再チャレンジして欲しいと思うし、あるいはその経験を日本の発展に使って欲しいと思う。

 形や状況には違いがあるが、日本を脱出した富裕層も一部では日本への帰還が報道されている(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131030-00000013-nkgendai-life)。要するに高い税金よりも安全安心の方が重要だとようやく気付いたということかもしれないが、戻ってくると言う意味では同じである。この場合も、自らの希望が打ち砕かれたと言うことで金銭的な問題はなかったとしても、精神面でのショックは否めない。
 中国での成功を夢見て挑戦した者も、あるいは海外に安住の地を求めた者も、日本における生活費用や仕事の問題よりも精神的な喪失感の方が大きな障害になるように思う。これを精神的帰国難民とでも呼ぶべきであろうか。
 楽ではないだろうが日本での生活は、海外にチャレンジする希薄と度胸があればきっと大丈夫だと思うし、海外移住組は元々一定の資産があってのことなので得をしないというレベルでしかない。しかし、現実の収入や仕事以上に夢を諦めざるを得なかったという喪失感が、この問題を大きくするように思うのだ。

 もちろん、その後始末を誰かに頼ることなどできやしない。一つの失敗は、それを自ら受け止めて新しいチャレンジにつなげなければならない。できれば、失意の帰国による精神的な難民状態があまり広がらないことを望みたいものである。