Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

リトマス試験紙

 山本太郎議員の園遊会における行動が波紋を呼んでいる。私は彼自身の行動も信念も全く評価していないので、「迷惑な話だな」という感想はあったとしてもそれ以上に何かを感じているわけではない。不敬罪的な反応にはやはり少し違和感があるが、同時に天皇陛下をパフォーマンスの道具に利用したことに対する嫌悪感もある。
 彼の取った行動は、天皇陛下に直訴して結果を期待することではなく、自らの存在を誇示するための道具(あるいは舞台装置)として天皇陛下を利用して下手な三文芝居を演じたことにある。手紙を書いたからと言って何かが変わることなどありえないのは重々承知しているであろう。また、その行為が大きな非難を生み出すことも想像していただろう。
 その上で、批判が巻き起こることを期待してあたかも炎上商法のように自らの存在を誇示する。どこの政党にも入らずに海千山千の国会でのアイデンティティ確保を狙うのであれば、メディアを含めて全国の視線を集めるパフォーマンスしかないことを知った上での行動だと思う。

 だから、擁護論者も批判論者も彼の思い通りに行動していると感じている。匂い的には鳩山元総理大臣い近いが、それ以上に作為的である点が鼻につく。私は保守的な人たちから比較すれば天皇陛下の価値を軽んじて捉えている方かもしれない。戦後の明確な象徴としての政治的な切り離しは良かったと思うし、一方で、国家の歴史を伝える屋台骨としては文化的価値を大いに評価もしているし、日本という国の神官としての意味も精神面で大きいと思う。
 逆に言えば、だからこそ山本議員の無軌道な行為には怒りよりも嫌悪感が湧く。大好きだった風景のように自分のものではないがそれでも大切なものを、汚されてしまった感覚かもしれない。日本の象徴としての存在を大道具程度のものとしてしか考えていないように見えることが悔しい。だから、その彼に対してもっとも取りたい行動は「無視」だと思っている。そして問題(あるいは不法行為)があれば粛々と処分すればよい。

 私の思いとは裏腹に、メディアはこの行動に対する賛否が飛び交っている。賛成も反対も意見としては別にかまわないと思うが、天皇制に対する認識の違いが見事に表れているような感じがする。少なくともやむを得ぬ上申とは私は思わないし、それすらも天皇陛下を政治に巻き込む下らぬ企みだと思う。
 その上で、この行為のみを取って議員辞職を迫るというのも大人げない。何らかの規定に迷惑に違反しているのであればやむを得ないが、これは法律問題ではなく倫理やマナーの問題であろう。単にマナーを知らない奴という評価で十分かと思う。そもそも彼の行動原理が既成概念を打ち破ることで自らの存在感を高めることにしかないのだから、無視されることが最もつらいことなのだ。
 まあ、彼を擁護するメディアは取り上げ続けるであろうし、ここ数年でこうしたメディアや識者の立ち位置が非常に明確になってきているから、彼にはリトマス試験紙の役割を果たすほどの新鮮さはもはやないのだが、それでもどういった立ち位置の人が彼を擁護しているのかはよく見えてくるはずである。

 ただ、一つだけ言いたいことがあるとすれば、彼は議員になる以前より数々の言論で人々に一定の影響を与えてきた。議員になった今、その責任をどの程度認識しており、どういった形で果たそうとしているのかが今一つ見えてこない。
 国会議員という責任ある立場に立った時、これまでまき散らしてきたデマや暴言を国民にきちんと説明してもらいたいものである。仮にパフォーマンスには一流であったとしても、それは国会議員に期待する最も主要な要素であないのだから。