Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

焦燥と我慢強さ

 人は苦しみや痛みに耐える力を持っている。人によってその強さは異なるが、その対価として得られるものが明確であればあるほど耐える力は増大する。人は基本的に苦痛に弱い動物ではあるものの、それでも相応と認められる対価があるならば一時的な苦しみには耐えられるものである。ところが、苦痛と比較すれば被るダメージは本来少ないはずではあるが、人がなかなか耐えられない感覚の一つに焦燥(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/109190/m0u/)があると思う。
 単純な「焦り」と言い切ってしまうのは若干妥当ではない感じがするし、「不安」とひとくくりにするのも範囲が狭い感じがする。もちろんこれは私が感じているイメージではあるが、心が何かに囚われてしまったことにより視野が狭くなっている状況を示していると思っている。その視野狭窄が、柔軟な思考を妨げて思い詰めやすくしてしまう。

 人々はこの焦燥感が苦手であるが故に、そのような状況にならないように普段から無意識の配慮をしており、逆に逃げ切れずにその状況に囚われると対応に苦慮することとなる。焦燥とは現実の苦難は大きな意味で存在するかも知れないが、それはあくまでその時点では想像の産物であって肉体的な苦痛を生み出しているものでは無い。逆に言えば、想像であるからこそイメージは増幅されやすく心を押しつぶす。
 焦燥が生じる一番の理由は心にゆとりが無くなっていることではあるが、それは心理的なプレッシャーにより発生し心の中を揺れ動くたびに自己増殖していく。強い心を有していればその増殖を抑え込めるのであろうが、痛みに耐える我慢と比べてこちらの我慢は感情の動きであるだけに容易ではないと言うことである。必ずしも受動的なものではなく自分が生み出してしまう問題だけに難しい。

 本来の我慢強さとは、受け身におけるそれだけではなく自らの欲望や不安を抑え込めるものの方が重要であり、自らの適切な行動を律することになる。多くの失敗は、受動的な暴力や苦難を耐えることに主眼が置かれがちであるがために生じており、実際には自分の心を上手く取り扱う方が大切であると共に失敗回避のために重要となる。
 それはトラブルを解決する場合においてもそうであるし、あるいはトラブルを発生させない上でも同じである。慌てて不必要な言動をしてしまうのは、多くの場合自らの焦りなどにより生じる傾向が高い。成果を焦る場合もあれば失敗を不安に思う場合もあるだろうが、どちらにしても自らの心を扱いかねている状況にあるが故のことである。
 もちろん、この世の中で律しがたいものの上位に自らの心、特に感情がある訳だが、これはトレーニングにより完全ではなくともある程度自己調整できる。スポーツ選手などは、相手の問題もあるが高いレベルで自分の心と戦い続けているのが普通である。メンタルトレーニングは、何も高いレベルの競技などのみに必要なものでは無い。多くの人は部活動などを通じて、あるいは受験勉強などにおいて自己流でしかこれを身につけるしかないが、必ずしも有効な方法を見付けられているとは限らない。逆に言えば、その良い方法を見付けた人の方が社会的に成功しやすいと言えなくもない。

 道徳などの授業とは異なるし、こうした分野のものを教育にどのように取り込めるものかは判らないが、自己の心理を制御する方法についてはもっと子供の頃から教えられないものだろうか。それにより、キレると言った突然の暴力行為を抑制することにも繋がるし、新しい能力に開眼する機会を得る子供も増えるように思うのだ。
 ADHD(多動性障害:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E6%84%8F%E6%AC%A0%E9%99%A5%E3%83%BB%E5%A4%9A%E5%8B%95%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3)までこれで防げるとは思わないが、道徳観念と共に自己の心理を律する方法を教えるという場所があってもよいのではないだろうか。