Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

幸福反応

お金がイコール幸せでないと感じる人は多い。しかし、お金がある方が幸せではないかと思う人も同時に多いように思える。それは、「お金がない=不幸」というステレオタイプの価値判断の対偶として与えられる考え方である。
ありきたりの答えかもしれないが、お金は幸せを得るきっかけにはなり得るが、幸せそのものは導かないのだと考えている。不幸については、そのものではないが以前に触れた(http://d.hatena.ne.jp/job_joy/20110925/1316878876)。それでは、そもそも幸せとは一体何なのだろうか。こんな大それた事が容易に結論に至るはずもないのは承知しているが、できることなら今回少し考えてみたい。

まず、最初に幸せと感じるものや事は人によりかなり異なるし、同じ人でもそれは一つではない。その上で多くの人の幸せを統計的に処理すればおそらく一定の傾向が見えてくる。それがステレオタイプとなって社会で語られるが、平均的日本人が存在しないのと同じように幸せの最大公約数も世の中で語られるほど多くは存在しない。
ただ、個別の幸せを意味するものの違いは広くても、それを生み出す母胎については何らかの共通項は生み出せるのではないかと思うし、過去においても多くの思想でそれは語られてきた。幸福感は、人間の脳内に分泌される「脳内麻薬」と呼ばれる神経伝達物質(エンドルフィン等:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3)により感じられることは既に知られているが、その脳内麻薬がどのような状況おいて多く分泌されるかは個人により共通項もあり大きく異なることもある。
良く言われるものでは、マラソンなどの長距離走におけるランナーズハイ(http://www.asahi-net.or.jp/~tc7h-ynk/library/runboo74.htm)があるが、怪我などにより激しい苦痛を感じた時にも分泌されることがあるとも言われる。すなわち、これは身体が苦痛から逃れるための防御反応でもある。私には理解できないが、SMなどの特別な性行為もこのような作用が関係しているのではないかと個人的には思っている。

苦痛側とは別に、成功体験や一時的な興奮においても恍惚感を感じるケースはある。コンサートで女性が失神するというような状況は、興奮のあまり身体が防衛的反応を示したとも言えるだろうが、それは苦痛から来たものでは無い。
あるいは緩やかな安定により幸せを感じることもある。それは一般的に脳内麻薬などとは別の心理的な幸福感と考えられそうだが、私はそうした時にも脳内の物質分泌によりそれが生じているのではないかと思う。例えば、うたた寝が心地よいのは脳の活動がある程度弱まった状態であるが、同時にそれは精神的緊張が解けている状況でもある。アルファー波が出ているなどと別の分析により語られることもあろうが、実はこの時にも分量はわからないが脳内麻薬が分泌されているのではないかと思う。
ただ、人によって差異があるのは当然であり緊張時の大きな脳内麻薬分泌を好む人もいれば、安定した緊張感のない状況での分泌を好む人もいよう。あるいはそれが多く分泌されるシステムは基本的に土台は共通であるものの、細部に至ると個人差が大きいと考えても良い。
ただ、基本的なパターンとしては上記に示した極度の身体負荷(苦痛等)回避と安息時の二つがまず存在する。そして幸せを感じる他のパターンとして、中度の継続的な苦痛からの解放というものもあるのではないかと思う。それが心理的な成功実感を伴えば、効果が非常に大きくなる。要するに、苦労をして何かをつかむこと=幸せと感じることであり、スポーツなどでも同じようなことは多くある。この場合、その成功体験が容易に手に入れば幸福感は大きく薄れる。すなわち、ストレスからの解放と言っても良い。逆に言えば耐えられる範囲内で溜めたストレスが大きいほどに、感じる幸福感が増大すると言うことでもある。また、ストレスに慣れてしまっても幸福感は感じられなくなるのもこのせいであろう。
スポーツでは敗れた場合よりも勝った場合の方が幸福感が高まるのは、敗れた場合には別の心理的ストレスが新たに加わるからではないかと思う。

その他のケースとして、他者からの羨望や自己満足を得られた場合などにも小さいかもしれないが幸せを感じることは誰もが知っている。この心理的な優越感や満足感による幸せを感じる機構については、自分自身で正直まだよく考えがまとまっていない。身体的なストレスによるものでも精神的な安定によるものでもないし、精神的ストレスから逃れた事によるものでもない。だとすると、単純な満足感によっても脳内麻薬が分泌されると言うことなのだろう。
この要素は人によってかなり個人差があるのではないかと思う。羨望などを心地よく思わない人も少なからず存在するためだ。それは心理的なストレスの感じ方が関係しているのかもしれないがよくわからない。

さて、恋愛や家族の情愛における「幸せ」は上記に示したあらゆるパターンを含めて感じられるものである。だから、それを追い求めれば苦労においても「幸せ」を感じることは可能だし、安定においてもそれは可能である。ただ、おそらくは個人のそれを感じやすい資質の違いにより大きな差異があるのだろう。その共通性が相性であったりするのだろうが、それをあまり分析的に語るのは恋愛に関する話としては趣がなさ過ぎるのも確かだろう。