Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

朝日ブランドの裏返し

凍えるピザ配達員に缶ビール渡す話が「ほっこり」? 朝日新聞天声人語」の感覚がズレていると話題に(http://www.j-cast.com/2013/02/03163873.html?p=all

 少し前ではあるが「天声人語」の取り上げた内容の奇妙さが話題となっていた。かつては、入試引用ナンバーワンの声も高らかに、朝日ブランドの象徴としてその地位を誇ってきた「天声人語」ではあるが、さすがにその輝きも褪せてきた感じが強くなっている。個人的に言わせてもらえれば、(数人のローテーションだったと思うが)毎日書いている訳でもありたまには内容にばらつきが生じるのも致し方ないことだとは思うのだが、同時に天下の公器を標榜するものとしては内部のチェック機構が働かなければお粗末と言われるのもまたその通りであろう。
 「天声人語」はその思想背景は別にしても含蓄のある内容が書かれていることもあり、私などの書く文章と比べても非常によく練られているので、個人的には未だにブランド価値は有していると思う。もっともそれでも徐々に社会における地位が失墜しているのだとすれば、それは執筆している人たちの平均的な知的レベルがそれだけ落ちているという結果だと思う。いや、そもそも思想や考え方などは毎日の書き込みに耐えられるほど新鮮さを保ているものではない。
 結果、目新しさを盛り込もうとチャレンジして砕けてしまう。いや、それは元々目指しているレベルを高く設定しているからこそ生じてしまう結果でもある。文章であれ何であれ、毎日良いものを生み出していくというのは容易なことではない。

 しかし、フロントランナーの地位の失墜について考えると朝日新聞自身としては実のところ将来が心配になっているのではないか。ただ、朝日の記事を揶揄する側の立場からすればこうした大きな揺らぎは、絶好のネタとして待ち望んでいるものでもある。逆に、「天声人語」の内容が劣化したと真剣に心配するのは、朝日新聞にシンパシーを感じている人たちであろう。「オピニオンリーダーたれ」とするその価値を失っていくことは、同じような思想を旨とする者たちからすれば自らの社会的地位の失墜にも繋がりかねない重大な出来事だからである。まさに、同志の没落を看過し得ないと言ったところではないかと思うのだ。
 ただ、こうした出来事が生じる最も大きな理由はTV業界などでも同じだと思うのだが、コンテンツの枯渇でもある。音楽でも何でもそうであるが、その分野に無限の広がりはあったとしても、人が受け入れられ、あるいは生み出せる幅には限界がある。それをブレイクスルーできることが常に理想とされるが、それは数としては稀少であり能力の分布として一部の人間に偏る。そして、無理をしてでも何かを生み出そうとするときにおかしな結果を生じさせてしまう。

 ブレイクスルーは同じ土俵では為し得ない。だとすれば、「天声人語」の未来は過去とは異なる形態に追い求められる。もちろん、ブレイクスルーが容易ではないが故に社会が受け入れられる変化を見いだすのは難しいし、一旦は現在まで築き上げてきた地位や名誉を捨て去るほどの覚悟と挑戦が必要になるだろう。
 失敗すれば、栄光の積み重ねが崩れ去る。元の地位や価値が高ければ高いほどに困難ではあるが、それを行わなければじり貧でもある。仮に、最近見られる文章の大きな揺らぎがチャレンジの失敗だとするならば野望への一環として面白い。だが、それが単なる既存路線踏襲における質の低下だとすれば、朝日というブランドの本格的な崩壊につながっていくものでもある。それは徐々にしか進まないが容易には取り戻せない。さて、どちらであろうか。