Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

整形の行き着く先

韓国が整形大国なのは既によく知られたことではあるが、整形ツーリズム的なことを行っていながら整形大国と呼ばれることは嫌なようである。もちろん日本でも整形手術は一定のニーズを誇っているが、芸能人などの一部を除けば若返りや脱毛などの分野などが主流となっているのは、美容外科の広告がそう言う面に集中していることから想像がつく。整形とは言っても容姿の改造もあれば、豊胸や脂肪吸引も含まれるし、肌の張りを復活させるアンチエイジングも含まれるから、「整形」という言葉が持つ容姿の改造というイメージとは常に微妙な食い違いが現れやすい。ただ、韓国の整形を揶揄する意味で用いられるのは主に顔の整形であろう。

メディアに登場するのはどちらかと言えば極端な例ではあるだろうが、韓国では(日本でもその傾向はあるかも知れないが)就職の面接で容姿が良い方が有利に働くと言った実際の現象を聞くと、社会の歪みを感じざるにはいられない。数値として実際にどの程度の整形利用率かなかなかわかりにくいが、国際美容整形手術協会の調査結果では人口に占める整形率は1.324%で世界2位であるという情報が流れている(http://www.news-postseven.com/archives/20120205_84114.html)。類似情報としてエコノミストの報道によれば、やはり人口比で約1.6%の整形率であるようだ(http://www.economist.com/blogs/graphicdetail/2012/04/daily-chart-13)。この報道で見る限りは人口比率上は世界第一位の整形大国ということになるが、単純数ではアメリカが最も多い。ちなみにこの数字は、スキンケアなどのアンチエイジングがかなり含まれており「整形」のイメージの主体となる顔の施術のみではないが、グラフを見る限り人口比率あたりの顔の整形も韓国が最も高い。

もっとも、顔の整形にしても単純な瞼の二重化などの非常に容易なものから、顔の骨格自体を変更するようなものまでそのレベルの軽重には大きな差があるため、単純な統計上の数字のみで語るのはなかなか難しいだろう。加えて美容整形を受けるのは男性よりも女性の方が多いこと、年齢的にも特定の年齢層に偏っていることなどからなかなか全体像は掴みがたい。ただ、韓国では男性の整形も決して少なくなく、故盧武鉉大統領が瞼の整形をしていたことはよく知られている。本当かどうかはわからないが、誕生日のプレゼントに整形を送るなんて話も出ている。
これもソースが定かではないが、ある韓国の大学の韓国人大学生が発表した博士学位論文「顔に対する美意識と美容整形手術に対する認識」では、ソウル市の京畿地域に居住する18歳以上の女性810人を対象に行われたアンケート調査で、25歳から29歳の女性のうち81.5%が美容整形手術の必要性を感じており61.5%が実際の手術の経験があると答えたという情報がある(http://www.koreabi.net/010biyo/02010706.html)。
あくまでイメージ論になるが、日本人の場合にはコンプレックスである特定部位の整形を行うが自分の個性は残す傾向があるが、韓国ではどちらかと言えば個性を残さないような整形が多いのではないかと感じている。韓国の芸能人の顔がどれも似ているという意見もあるが、たとえ劣っているとしても自分自身に対する個性を残すという考えの社会的な認識の違いがそこにはあるもかもしれない。

ところで、「ヘルタースケルター」は現在公開中の映画であるが、この言葉の由来は螺旋形の滑り台から来ており「狼狽する」、「混乱した」、等の意味と共にザ・ビートルズの曲として「しっちゃかめっちゃか」というような意味に用いられている。映画については岡崎京子の漫画が原作(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC_%28%E6%BC%AB%E7%94%BB%29)であるが、全身整形の芸能人にまつわる内容のものである。
韓国の整形が実際にどれくらい凄いかを客観的に知る資料は持たないが、ネタのような話として整形した両親から生まれてきた子供の写真を見ると(http://blog.livedoor.jp/netagazou_okiba/archives/7092206.html)全く持って驚かされる。
こうした現象が子供にどのような心理的問題を生じさせるかはわからないし、現実問題として一定の自我を得る中学生頃から整形に通うと言った話まで聞こえてくるが、考え方からすればこれはとんでもないことではないかと思うのだ。身体の成長が不十分な時から整形などを行えば、どのような不都合を生じるかは計り知れない。まさに、映画「ヘルタースケルター」のように整形の負の面が現れてしまうかも知れないのだが、自らの整形を隠すようにもしくは子供達の劣等感を解消させるように、整形が多いからこそ今後に向かっての大きな社会的問題を抱え込んでしまっているのではないかと危惧するものである。