Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

マスコミのアジテーション

マスコミが報道(ジャーナリズム)を自称するのであれば、まず守らなければならないことがある。それは、事実に即したことを報道すると言うことだ。もちろん、事実として確認できないことも多く存在するので、全て事実確認をしなければならないというのは無理ではあるが、事実を基に論理的な推論を打ち立てて報道しなければならない。

ところが、営利企業としての面が前面に出てきてしまうとその大原則が容易に崩れてしまう。よりセンセーショナルなものの方が情報価値が高まるからである。スクープとは誰もが知らない価値の高い情報のことを言うが、そもそもそんな貴重な情報が容易に手に入るはずもない。
そこで行われるのが、印象操作による既知情報の粉飾である。その粉飾には事実など一切関係ない。むしろ感情に訴えるような印象操作を前面に打ち立てた報道が為されることになる。もちろん政治家達も敵対勢力にダメージを与えるためにあるいは人気取りのために似たような印象操作を良く用いる。ただ、報道機関がそれをしてしまえば報道の信頼性を損なうと言う意味において一種の自殺行為を行っていることになる。
新聞の売り上げ低迷は、ネットの発達の影響も少なくないだろうが同時に自らが貶めてしまった信用によるところも少なくない。「アサヒる」という言葉がネット上ではしばしば見かけられるが、これは情報を捏造して報道することを意味している。社会の木鐸を自称しているが、現実にはネタとして扱われるレベルまでその信用は低下している。ついでに言えば、毎日新聞は更に酷く「変態新聞」との蔑称がかなり定着している。

なぜそんなことが生じているのか。新聞は価値ある情報源として認められていたのではないのか。それは、ネットの発達により多くの国民が自分の力で情報の信憑性をある程度まで確かめることができるようになったことが大きく影響している。加えて、デジタルアーカイブは過去の誤った報道を容易に露呈させる。
その報道が事実に何処まで基づいているのか、偏向ではないか、特定の思想が強く左右していないか。こうしたことをネットがない時代と比べればずっと容易にかつ短時間に調べることができるのだ。だからこそ、自己反省のなさや事実確認ができないことを強弁する姿勢などが叩かれ、結果的に信用を大きく損なっている。自己反省が足りないと感じられるのは新聞社などの妙に高いプライドが邪魔をしているのだろうし、過去の誤りを決して訂正しないのは会社における個人的な立場や、報道機関としての誤った権威主義が影響していると思う。
例えば、中国の教科書にも載せられている「百人斬り競争(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A%E7%AB%B6%E4%BA%89)」は毎日新聞が報じ朝日新聞が追っかけ報道したものであるが、その真実性については強く疑いがもたれている。毎日新聞もその後の記録誌において事実無根だったとしているが、公式に謝罪はしていない。ただ、それを虚偽とまで言いきれないと言うことで裁判においては遺族による名誉毀損の訴えは退けられている。
あるいは、従軍慰安婦の問題についても日本でそれを喧伝した吉田清治が創作であったことを認めているが、吉田発言を大々的に報じてキャンペーンを張った朝日新聞は吉田発言の真偽は確認できないとしたものの、自らの誤りは一切認めていない。

結局のところ、戦前の戦争推進報道を恥ずかしく思っている彼らが自らの罪を軽くするために当時の日本軍を徹底的に貶める報道を続けている訳だが、それは事実の追求というジャーナリズムではなく遠回しに当時の自分たちの行動を目立たなくさせようという粉飾の一環としてしか感じられないのだ。戦争は悲惨だし、当時の軍部にも批判されるべき点は多大にあるだろう。ただ、本来戦争とは特定の誰かが完全なる悪で始まるものでは無い。それを全否定することで自らの過去の汚点を隠そうとする行為は、事実を抽出して人々に伝えるという報道機関の最も大切な点を見失っている。
マスコミが事実を追求せずに印象論で報道を続けるのは、逆に言えば真実を覆い隠そうとしているのだと言うことを既に多くの国民は感じている。消費税を推進しながら、自らは軽減税率を主張するその露骨すぎるくらいの利益誘導体質は、結局ジャーナリストではなくアジテーターに過ぎないと言うことをよく示しているのであろう。