Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

自然信仰

世の中には、自然のままが最も良いという信仰がなかなか根強い。しかし、完全な自然が人間にとって優しいというのは空想に過ぎない。基本的には自然に人間が手を入れることで、バランスの良い共生状態を作るのであって、人が手を加えないと言うことは自然から人間すらはじき出されることも考えなければならない。

例えば、既に社会問題にもなっているが自然分娩信仰がある。これは、現代医療の力を借りずに自然出産が最も素晴らしいと考えるものである。既に医療界などから何度も懸念の声が上がっているが、自宅などでの無介助分娩が感動的な姿としてマスコミなどを通じて報じられているケースが挙げられる。
確かに、出産という生命の神秘を感動的に感じるのは当然かも知れないが、出産というのは同時に命の危険も伴うものであって、そのリスクをどれだけ考慮に入れた行為なのかは難しい。昔のように多産な時代ではないからこそより安全に注意を払わなければならないとすれば、感動で全てをくくるようなことが正しいとは思わない。かつて自然分娩が主流だった時代は今よりも出産時の死亡率がずっと高かったのは間違いない。
一種宗教的な信仰になってしまうが、自然分娩の優位性を示す客観的データはおそらく存在しない。

あるいは、こんな例もある。日本の国土の2/3は森林で覆われているが、そのうちの半分は人工林である。台風などの通過のたびにこうした植林した樹木の被害や地滑りなどが報じられるが、それは人間が手を入れたからこそ悪いかのようなイメージが広がっている例もある。現実の自然林は厳しい世界である。自然林だからと言って倒木がないわけではなく、朽ちた木材も処分されないまま放置されることとなる。その結果、森林は生み出す酸素と消費する酸素がほぼ釣り合ってしまう。自然林は自己完結的であって、私達に対して大きなメリットを与える存在ではない。
一方で手入れされた人工林は、人間の手が入るからこそ非常に安定した森林となる。人間という存在を無視して考えれば自然林の方が良いのだという言説もわからなくはないが、現実には人間の存在を前提として考えなければならない。だとすれば、人の手が入ることでより強靱で効率的な森林が形成される方が、国土維持などを考えても良いのである。
確かに現状では経済的な制約により人工林に十分な手が入っていないという事実が存在するが、それが人工林が自然林に劣ることを示唆するものでは無い。

あるいは野菜の食糧などもそうである。遺伝子操作までをすることは私も良いとは思わないが、多くの野菜は人工的に品種改良されることで、よりおいしくかつより収穫性を高めるなどの措置がとられている。自然農法を否定するつもりはさらさら無いが、それが万能だと言うつもりもない。
基本的にはメリットとデメリットのバランスなのだと思う。

さて、日本でも江戸時代などは現代と比べれば自然に満ちていた時代と言えるだろう。あるいは明治時代でも都会を除けばそれは言える。さて、果たしてこの時代の人々は今より幸せだったのであろうか。これについては意見が分かれる点も少なくないかもしれない。ただ、当時の人たちが渇望してきたものが現代にあるのも間違いない事実だと思う。現在の人々が安全を自然信仰として求める以上の安全性を技術などの人工的なものの進歩に求めているのだ。
自然は本来人間には厳しいものである。それが理想と考えるのは個人の自由かも知れないが、その厳しい自然を人間に馴染ませるために生み出されてきたのが技術であるとすれば、それを無視した自然信仰にはやはり違和感を感じざるを得ない。