Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

勤勉と怠惰

仕事中毒だけではなく遊び中毒でも良いのだが、世の中には休息を上手く取れない人が少なからず存在する。かく言う私もその一人であって、上手く休息を取ることができない方である。もちろん気分転換はするし、休息を取らないせいで極度の疲労困憊に陥っているわけではない。どちらかと言えば、休息の取り方が下手だなとは思うのだ。
逆に、ごろごろとしていて何もしない。。。なんて人の話も聞こえてくるが、それが生活を送る上で上手く活用できているのであれば正直言って羨ましい。もっとも、現実にはそう言う人には活動(労働等)とのメリハリを上手く取れているのかどうかを聞いてみたいものである。

要するにメリハリの問題なのだが、よく働く人はよく遊ぶということは気分的にはリフレッシュできたとしても肉体的にはどうなのだろうかと、ふと感じてしまう。言葉の上では「アグレッシブな人生」と片付けることができるのだろうが、それはむしろ性分と言うよりは肉体的な能力の差異によるものなのではないだろうか。ナポレオンは3時間睡眠で過ごしたと言われているが、そのように短い睡眠時間で過ごせる人も世の中には存在する。一方で、8時間でも不足して疲れが溜まるという人もいるだろう。要するに、人間の身体の性能も運動能力や頭脳と同じように人によって結構大きな違いがあるのだろう。基本活動性能の違いと言っても良い。精神論でカバーできる範囲の違いならばよいが、感覚的にはそれで補いきれないレベルの違いが存在するように思う。

一方で、疲れを溜めながらも仕事にのめり込んでしまうような人はワーカホリックなどと呼ばれるが、こちらは肉体性能の違いではなく精神的な依存度の違いである。自らの存在意義を仕事に投影してしまえば、それはまさに仕事中毒と呼ばれるような状態と言えるかも知れない。さて、ワーカホリックは勤勉と言うべきなのだろうか。
一般に、仕事や勉強に打ち込む姿を勤勉と褒められ、それには打ち込まない人は怠惰であると陰口をたたかれる。確かに一般的にはそうなのだろうが、精神的にそれに依存してしまうような状況を勤勉と表現することには少々抵抗を感じてしまう。
それは、仕事をしないことを恐れてそこに逃避している姿でもある。仕事を恐れて仕事以外に逃げ出すのと仕事に逃げ込むこと、仕事をするという意味では違うのだが人間の資質としてそこにどれだけの差異が存在するのだろうかと考えてしまうのだ。

それでも、社会的には決められたことを行わないのは怠惰であり、それを実行すれば勤勉と評される。そこに精神的な依存があろうが無かろうが関係ない。ただ逃げ込むように仕事をする場合には、そこに破滅的な未来がうっすらと見える。身体を壊すことになるのか、あるいはのめり込みすぎにより仕事を抱えすぎて失敗するのか、それともまた別の何かがあるのかはわからないが、その危険性を秘めている。
私の場合を考えてみても、結局のところ何を恐れているのかよくわからないのだが、仕事若しくはそれ以外の何かをしていないと落ち着かない。自分としては恐れているつもりはなくて好きなことに手を出すと自然にすべきことが増えているつもりなのだが、それでもやはりそこにのめり込む心理には何かがあるように感じて仕方がない。加えて、肉体的にも年齢による衰えはあるとしても多少の無理は利いてしまう。
当然のことながら破滅的な未来はお断りだし、それによるメリットとデメリットを考えると抱え込みすぎるデメリットは理解しているつもりだ。加えてすべきことに優先順位は付けているつもりでもある。かつては遊びにも一生懸命で、様々な遊びにも時間を費やしてきた。それでも今考えてみれば、その折りの遊びは結局のところ仕事と何ら変わりはない。仕事に取り組むのと似たような姿勢で遊びにも取り組んでいたような気がするのだ。

結局、怠惰とは物事に真剣に取り組むことからの逃避であり、勤勉とは物事に取り組まないことからの逃避ではないだろうか。言葉尻では似たものであるが、もちろん社会的評価は全く異なる。両極端のそれであることは稀であって、大多数の人は記念と怠惰の両方の性質を持ち合わせている。どちらが大きく現れるかの違いが、怠惰であるか勤勉であるかを左右する。
そして、怠惰であると評される中にも二つのケースが存在する。本当に何もしない場合と、すべきこと以外に打ち込む場合である。
理想を考えれば、すべきことに打ち込んでそれ以外は適度に休息を取るというのが最も良いのだが、人間はどうもそんな理想的には生きられないのであろう。それには肉体的な性能もあるし、精神的な特性も関与する。
そして、私達は何らかいびつな形で生きていくのであろう。ただ、それも楽しめればよいのだと思う。

とりとめもない内容ではあるが、ふとそんなことを考えた。