Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

女性と就職と学歴

「高学歴であればあるほど損をする」女性の雇用環境(http://nikkan-spa.jp/832126

 「貧困女子」の話題に続いて「就職難女子」とでも言えばいいのであろうか、女性の不利益についていろいろと意見が出ているようだ。確かに、男女雇用機会均等法(https://kotobank.jp/word/%E7%94%B7%E5%A5%B3%E9%9B%87%E7%94%A8%E6%A9%9F%E4%BC%9A%E5%9D%87%E7%AD%89%E6%B3%95-5684)が目指している理想的な社会が現在実現しているかと問われれば「否」と私も答える。女性が不利益な目に流されてしまう源泉となる社会的慣習や気運があることは十分承知している。
 それでもかつて存在した露骨な差別はできなくなり、建前上ではあるが『雇用機会』は平等になっている。

 「女性二極化(http://d.hatena.ne.jp/job_joy/20150314/1426297997)」と言うエントリで、女性の学歴は向上し続けトップクラスでは男性を圧倒し始めていることについては触れた。採用時においても学生時代やテスト(入社試験)の成績を見れば女性が上位にずらっと並ぶのはなんとなく予想ができる。もちろん男性も皆無ではないが、ざっくり見れば上位成績者の女性率は高い。
 この状況は何もここ数年の話ではなく、おそらく20年近く前からそうだったのではないかと個人的経験をもとに想像している。

 しかし、企業が採用する基準は学力のみではない。勤勉さもあるが、採用する側から考えるとコミュニケーション能力が一定以上あることが望まれる。その他にも業種によっては別の要因も含まれるであろう。この場合のコミュニケーション能力は、フラットな人間関係に関するものだけではなく部下として上司としてのそれも含むと私は考える。
 実際、採用時点の簡単な面接でそれを見抜くことはほぼ不可能に近いため、一定以上の採用をする場合には幅広く(NGではない範囲で様々なタイプの)人材を確保することが、採用時のリスクマネージメントとしては必要な事項となる。

 女性にも性格的に様々なタイプが存在するが、採用時の優秀な女性のタイプが比較的似た感じに見えるのが私としては気になっている。おそらく私の勝手な思い込みであって、本当は様々なタイプの人がいるであろうことは想像に難くないのだが、それでも感じさせる要素は一体どこになるのであろうか。
 ただ、上記のリスクマネージメントの観点より似たタイプの人材よりは、ある程度異なるタイプの人も加えておきたい。その結果、仮に多少成績が低かったとしても男性が選択されることとなる。就活時は違いを強調しないような服装(リクルートスタイル)が多いが、ここも個人的感想として男性の方が人物像的にバラエティに富んでいる感じがしなくもない。

 おそらく、企業においては女性の数を限定するような風土を持つところもあったりするなど、女性の方が就職が難しいという全体的な傾向が強いのだろう。加えて、女性の方が成績が良くてもバランスやリスクヘッジと言う理由により男女比が自然に調整されてしまう。こう考えると、女性の方が不利に見えるが職業が異なれば男性が圧倒的に不利な業界もあろうし、需要と供給のマッチングを考えた時に単純に女性が不利と割り切っていって良いのかどうかは、正直言うとよくわからないでいる。
 それでも、社会に広く不利である旨が広がっていれば、その真実性ではなく広がった情報そのものが価値を持つ。リアルかどうか分からない不利さであっても、女性達は不利をカバーしようと努力することとなる。また、時に専門性の高さが企業が求めるものとかけ離れてしまえば就職時に不利に働くことがない訳ではない。しかも優等生であろうとするが故に、上記の感想で書いたように成績が優秀な女性のタイプが画一的に見えてしまうという問題点は消えるどころか、かえってクローズアップされかねない。

 要するに私が感じた画一感は、委員長的であることなのかも知れない。優等生的であることは、優等生ではない私には無理だが正直かなり疲れるのではないだろうかと想像する。勝手に想像を巡らせば、男性に勝つためには能力で男性を屈服させることがわかりやすい。
 力で圧倒することで自らを認めさせようとするスタイル。これは、企業においてもわかるだろうがなかなかに難しい。地位や権力を使えば可能ではあろうが、それを持たない者にとってはまわりは皆敵になってしまう。調和や協力より、周りを屈服させリーダたろうとする。担ぎ上げられるのではなく、自らが率先する。

 それ自体は私は悪いことではないと思うが、リーダーたらんとすればそれだけ大きな夢に人を巻き込まなければならない。それができれば何の問題も生じないと思うのだが、時にリーダーの地位を欲しながらも夢や希望が小さければ、どうなるだろうか?
 おそらくは、人はリーダとして認めないのではないか。女性の全てが大きな夢を持っていないとは言わない。ただ、より多くの人を引き寄せ巻き込めるような発信力を持っているだろうか。私は、女性であってもこうした魅力を有している人は十分に成功していると思っている。それは心の余裕や柔軟性にも繋がっているのではないだろうか。

 野望の問題と言ってしまえば身も蓋もないが、企業も人を引っ張っていける人材を求めていると私は思う。野望が大きすぎれば独立になって企業としては不利益かもしれないが、堅実さだけでは物足りない。こうした意識は、これも私の想像に過ぎないが総じて言えば男性と女性では違っているではないか。女性の方が目標が低いとは言わないが、比較的に堅実と言っても良いように思う。
 現実には、有能で且つ人物的魅力に富み、その上で大きな夢を持ちバリバリと働いている女性を幾人も知っているので、女性の方が仕事に向いていないとは思わない。このあたりは、男女差よりも個性の方が随分と大きい。
 学歴を求め、成績を追いかける。それはそれで大切なことだとは思うが、社会はそれだけでは決まらない。こう考えてみると、少し女性の就職問題も違った観点で捉えることができるかも知れない。もちろん、それが社会的不公平を是正できるような何かである訳ではないのだが。