Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ミスユニバース審査が腑に落ちない

カナダで話題となっている性同一性障害から性転換をしたジェナ・タラコバ(Jenna Talackova)さんの問題を扱おうかとも考えたが、それ以前にミスユニバースに全く共感できない自分がいたので書いてみたい。
もっとも、男女平等を叫んで女性のみのコンテストは男女差別だなんて言うきはさらさら無い。単純に私の女性に対する美的基準とミスユニバースの審査基準が大きく違っていると感じているのだ。そこで、ミスユニバースの選考基準について見てみると外観の美的要素のみならず、知性・感性・人間性・誠実さ・自信に加え社会貢献なども評価されるとしている(wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9)。

総合的な人格を評価するという建前については、別に批判するつもりはない。スタート時点の社会環境は単に美的な存在を評価するコンテストだったのが、時代の変化と共に表面的な美のみでは社会が許容しなくなったという現実に即しているからだ。
それでも、水着審査などセックスアピール的な表現が未だに多く残っているのは、コンテストの原型がそこに由来していたことの痕跡であろう。
近年の日本のミスコンでは、様々な批判もあって水着審査などはかなり減少していると聞く。ただ、総合的な教養なども含めて審査するとして、一体どの項目が重要視されるのかについて今ひとつ明確な審査基準がわからない気もする。と言うのも、美しさ以外に独立した評価項目が存在した時に、そのウエイトがどの程度に配分されているかは審査を行う上で非常に重要となる。私は審査基準自体はよくわからないため想像でしかないのだが、ミスコンを行うためには美的要素以外に独立した審査項目を挙げることは困難なように思う。審査項目としてあげられる数多くのものは、それを美的要素として換算して用いられているのではないか。すなわち、美に従属する要素として取り扱われていると言うことである。
この従属は評価において非常にやっかいだ。というのも、外観以外の数多くの審査項目は美的要素として置き換えられる訳だから、その実質的能力は直接評価されないのだ。要するに、それがどれだけ美に貢献しているかという印象評価にしかなり得ない。嘘をついていれば不味いであろうが、そうでないならば最大限取り繕うことが可能になる。

そもそも女性を対象としたミスコンは山ほど存在するにもかかわらず、男性を対象とするそれはほとんど聞くこともないか、仮に存在してもマイナーなものでしかない。なんだかんだと理屈をこねたとしても、結局の処はその時代にあった美しさを決めようとしていることには変わりはないのだ。
もっとも、私はその美しさを求めるという行為が悪いとはあまり思っていない。そして、ミスユニバースなどに見る外観などの美的要素以外を如何にも高く評価しているように見せかける状況に違和感を感じているのである。
たかだか美しさを競うのみのコンテストではないか。もちろん世界一になると言うことは凄いことだと思うし、格好代表になることも凄い。だからといって、それを高尚な存在にしようと下手な建前を後から押しつけている。その項目を加えることでまるで内面の全てを審査しているようなフリをしている。
もちろん出場して勝ち抜いていく人たちは、多くの努力をして外観お美しさだけでなく才能豊かな人たちであろう。それは素晴らしいことだと思うし、払った努力には経緯を払いたい。しかし、逆に言えば美的要素という単一の要素で始まった評価が、いつの間にか「まるで」複数の要素により競われているように考えられるようになり、あたかもファッションショーのような要素さえ見える始末となっている。
こうした状況を見て思うのが、これは一体何を決めようとしているコンテストなのだろうかという素直な感想だ。

結果的には美しいと思える人が選ばれていたり、あるいはそう思えない人が勝ち残ることもある。美的評価については個人差が大きいため、そもそも誰もが納得する評価を行い得ないという面もあるだろうが、それ以上に評価内容を複雑にしすぎている故に上手く選べないという状況に陥っているのではないかと感じてしまうのだ。
私のような考え方は今の時代にはなじまないのかも知れないのだが、現状においてミスユニバース(あるいはその他2つの世界的ミスコン)はコンテストを開催することが強い目的となりすぎてしまい、結果的に迷走しているのではないかと思う。

「目くじらを立てることではないかもしれないが、それでも人は美しさを希求する。純粋さが社会的なしがらみで歪められているように思うのだがどうだろう。」