Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

日銀はスペシャリストの矜恃を持て

日本銀行は日本という国家の中央銀行であり、日本における「物価の安定」と「金融システムの安定」を目的とすることが日銀法により定められている。(wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C
すなわち、日本の景気を拡大し雇用を維持する責任は日本銀行ではなく日本政府にある。

仮に上記の目的をつつがなく遂行するとすれば、現状における緩やかなデフレと言うものは日銀としての政策の失敗には当たらない。それよりも、制御不能になるかもしれないインフレに対峙し続けるということも、ある種当然と言えなくもない。いわゆる「インフレファイター」たる所以でもある。
だから、日本の経済全般の責任は政府(あるいは財務省)に預けてしまい狭い自分のテリトリーを守るつもりであるならば、今日銀にできることはそれほど多くはない。もちろん、その見返りとして財務省には大きな態度を取られることになるかもしれない。

でも思うのだが、専門家が自分の持ち分を狭い範囲に押し込めていこうとすればするほど、異なる専門家の間に大きな隙間が出来上がっていくものである。民間であれば、こうした隙間を狙って新たなチャレンジャーが算入し、隙間を埋めつつも利益を上げていくことになるであろう。社会的な歪みより隙間が大きくなればなるほど、企業としてのフロンティアが広がることになる。
しかし、業務の独占が法律により決められている世界、特に政府関係機関に限って言うならば、このような隙間は基本的には作ってはならないのである。隙間ができると言うことは政策に死角が生じると言うことであり、その死角に囚われる国民や企業は不利益を被るからである。
もちろん、社会の形態は刻一刻と変わっていく。それ故に、いつも国会では新しい法律を立案するなどして社会の死角を無くす努力が続けられることになる。

翻って、現在の日銀の行動は経済行政の死角を作るような形にはなっていないだろうか?
自らの狭いテリトリーを守るような行動を、官僚的と呼んだり、セクショナリズムと表することはもはや一般的な使用法ではあるが、大企業病とも呼べるそれに日銀は陥っていないのだろうか。
仮にも金融を所掌する政府機関の頂点でもある。金融のプロとして、そのようなセクショナリズムに陥っていることは恥ずべきことだと私は思う。もちろん、隙間を埋めようとすれば、財務省その他との間に縄張り争いの軋轢が生じるのは間違いないであろう。
その軋轢においては、日銀が出しゃばるなと言う意見も出るだろうし、様々な形のプレッシャーもかかるだろう。
ただ、困難な道を進まない専門家は本当の意味での専門家なのか?
専門家としてのプライドを持って業務に当たるとすれば、困難であっても最も良い道を探るべきだろう。
仮にそれができないのであれば、それは専門家でも何でもない。既に出来上がった法律やシステムの管理人に過ぎない。

実を言えば、今の日本において最も問題なのは専門家が本来あるべき専門家として十分に機能していないことにあるのではないかと感じることが多い。何も問題は日銀にだけあるわけではない。
ただ、今も立場を守るのが仕事の主たるものだとすれば、少なくとも「専門家」とか「プロ」の看板は下ろさなければならないだろう。

「今の日本に最も必要なのは、やせ我慢でも良いから専門家が矜恃を持って問題に当たることではないか。蛇足ながらその上で付け加えるならば、トラブルに群がるハイエナ達による揚げ足取りにはもはや食傷気味である。」