Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

核家族から共依存家族へ

現状、独居老人は増加の一途をたどっている。
これは経済情勢の変化ではなく、寿命が伸びたことから来る社会構造の変化に伴う現象であると言える。
老人世帯を語る上では、核家族に触れなければならない。
核家族化が社会に認知され始めたのは行動成長期であると言われている。
1963値頃には既に流行語となったようであるが、実を言えば核家族自体は日本において江戸時代からある一般的な家族形態であるようだ。
それではなぜ核家族化がデメリットあるものとして認識されたかと言えば、戦後平均寿命が大きく伸びたことで独居老人や高齢者世帯が増加したことが理由として考えられている。

私達のイメージで言えば、戦前は大家族が一般的であって核家族化は戦後の生活スタイルの変化に伴うものだという認識であろうが、それは必ずしも正しくないようだ。
wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%AE%B6%E6%97%8F

基本的に経済的に安定すれば、核家族が増えるのではないだろうか。なぜならば、お互いに寄り添って生きなくても生きていけるからである。未婚率の高まりや少子化も同じ文脈でとらえるのは少々強引かもしれないが、感覚的には似たイメージを抱いている。
しかし少し前からは、まずパラサイトシングルという言葉が生まれたように家族が分化しない方向に社会が少しずつ動き始めたのかもしれないと感じている。それは、私達が望む形での家族の復活とは限らないが、経済の低迷が引き起こした一つの流れではないかと思う。

パラサイトシングルについては、過渡期として二つの条件がある。
一つは親が子供を養うだけの財産を保有しているということだ。子供が大きくなっても同居が可能だと言うことは親がきちんと持ち家を有して、その上で食べていけるに十分な資産(年金を含めて)を持っていると言うことである。
もう一つの条件は、子供も働いてはいるのだが独り暮らしをするよりは親と同居した方が楽だという考えに至ると言うこと自体が、経済的な自立をできていない傾向が読み取れる。一種、富を有する高齢者世代に富を有しない若者世代が寄生している形と言えば、社会的な富の再配分の一つの形ではあろう。

さて、失われた20年は欧州危機や世界的な経済の減速によりさらに長引きそうな状況になってきた。加えて、現状のアメリカにおける不況や欧州の金融危機に根本的な対策を打つためには、各国政府は否定するだろうが実質的にはお金をばらまくしかない状況にある。
すなわち、インフレの到来である。
インフレの到来は、既に資産を有するものの収入の道が細くなった高齢者世代を基本的に直撃する。
持つものより稼ぐものに有利な時代の到来である。

だとすれば、若者達がチャレンジをすれば夢が広がる可能性は高まるが、日本において人口割合が増えている高齢者世代が今度は若年層に寄生する方向に徐々にシフトするのである。現状でも、年金という形でそれは非常にゆっくりと、しかし確実に増えつつあるのは誰もが知っている。
社会保障費が増加数というのは、なんてことはない高齢者の生活費を税金により賄っていると言うことに過ぎないのだ。
仮に個の傾向が続くようであれば、高齢者そのものの生活基盤が今よりも危うくなってくる。パラサイトシングルのように一方的に若年層が高齢者に寄生するという流れではなく、高齢者と若年層がしばらくの間は寄り添うように依存しあう可能性が増えると考える。

社会におけるニュースを見ていても、貧困層ではあるがそのような形で困窮しているものをちらほらと目にするようになってきた。戦後の動乱期には当たり前のであったものかもしれないが、一度豊かさを得た国民が再びその状況に対応することは正直言って容易ではない。
また、人口の減少は古い住宅の増加を招いているというインフラ上の変化もある。大都市ではまだ顕在化してはいないものの、地方都市などでは人口減少に伴ってアキ家が増加しつつあるのだ。

住宅は余る傾向にある。社会保障の充実が財政的やインフレの進行によって十分ではなくなれば、結果的に高齢者の生活基盤が揺らぐ。しかし経済状況が改善しなければ若年層も急に十分な稼ぎが得られるわけではない。とすれば、過渡的かもしれないがいくつかの世代が共依存関係に入っていく可能性は捨てられない。
動乱の時代が強くなればなるほど、核家族から共依存家族へと流れが動くのではないだろうか。もっとも、それは私達が知っている家族のイメージにおそらく近い。

「望む形ではなくても、社会がコミュニティの再認識をできる時代が来るのだろう。」