Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

話を聞いてくれる場所

 病院が高齢者のたまり場になっているのは既に常識ではあるが、これはこれで社会的な交流の場としての機能を担っている。事例としては異なるが、歳を取れば取るほどに久しぶりに会った友人との会話が健康や病気の話になるのはさもありなんと言ったところであろうか。
 医療費の増加は高齢化の進展とともに現在も続いており、その抑制は喫緊の課題である。高齢者の自己負担率を上げたりすることでその抑制を図るのも一つの手ではあるが、なぜ病院に集まるのかという問題を解決しない限り根本的には何も変わらない。
それよりも健康を気遣いながら気軽に集まれる場所を病院以外に作るということはできないのだろうか。

 単純な健康相談や、病気に対する勉強会、生活習慣に関する知識の取得など、今の元気な高齢者たちは貪欲に吸収しようとする。もちろん一定の費用は取る。現在の病院で支払う自己負担率程度を徴収して、高齢者のサロンを作り上げる。娯楽もあってもよい。すっかり寂れてしまった町のゲームセンターが高齢者たちのサロンとなっているという話もある。単純に何かを買えと迫るような姿勢ではなく、お金を使いたくすればよいのである。
 最近では、自治体などを中心として「高齢者ふれあいサロン(http://www.google.co.jp/search?q=%E9%AB%98%E9%BD%A2%E8%80%85%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%81%82%E3%81%84%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3&revid=475695164&sa=X&ei=5-f-UcDIDI3jlAW-2IGgDQ&ved=0CHkQ1QIoAA&biw=1011&bih=905)」などと呼称される地域ぐるみの集まりなども企画されている。集まりの状況も悪くないようだが、こうしたものは元々地域の公民館などを用いて行われてきたものとそれほど変わらないようにも思える。元気な高齢者は集まるだろうが、病気などで多少なりとも不安を抱える高齢者たちは逆に近寄りがたいのではないかとも思う。
 加えて、催しなどの企画についても地域に任されているケースも少なくない。適当なリーダーがいて上手く回る地域もあるだろうが、逆に何もできないところもあるだろうと予想する。

 さて、サロンとしての様々な取り組みは同時に高齢者の働く場所としても機能する。全てを高齢者が取り仕切るのは不十分だと思うので、例えば研修医の修練の場としてあるいは福祉関係職業に就きたい若者たちの実地研修の場として高齢者の話に耳を傾ける場を加えてみたらよいのではないか。そこで働く高齢者には当然幾ばくかの報酬も出る。
 サロンが必要になる最も大きな理由は、高齢者を実質的な社会活動から閉め出していることも遠因の一つではないかと思う。確かに能力的に衰えている面がない訳ではないが、また引退したいと口癖のように言うかもしれないが、働かないと言うことは人とふれあう場所すらも失っている。
 適度な負荷の適度な仕事、そして適度な関わり。今そのバランス良い場所が存在しないから、病院がサロンとして利用されてしまうのだと思う。

 結果的に、社会は高齢者を大切にしているフリをしながら、高齢者を社会から阻害している。それは全てをフォローしようとすれば社会的な負荷が大きすぎるという視点からなのだろうが、結果的にその考えが医療費の増大を引き起こしているのではないだろうか。
 しかし、社会全体としては手間はかかるとしても高齢者がもっと実質的に社会参加する道を探っていかなければならないのだろうと思うのだ。遠回りかも知れないが、これが増え続ける医療費を減らす有力な方法となるのではないだろうか。