Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

常識の打破(その1)

現状を変えたいと願う人は多いだろうが、それを打破したと自慢げに語る人はかえって胡散臭く感じられるものである。
人が現状を変えたいと願う理由は、現状に満足していないという認識に立脚している。
それは、自己認識であり願望と現実の狭間の大きさが望む心理の強さにもなるが、大きすぎるそれはあきらめという感情を生む。
ところが、難しいことにこの自己認識は当然ながら主観的であって、第三者から比較的客観的な状況とはおそらく結構な差異がある。

それでも、人は自分の限界を破って成長したいという願望は持っている。
だから、自己啓発本を買ったり、セミナーや資格取得に時間を割くことになる。
個人的な意見を言わせて貰えば啓発本などは見なくても良いと思うが、気になるのであれば1冊くらいは買って読んでも悪くはない。それで心の平静が保てると言うことで言えばである。何冊も買ったとしてもおそらくほとんど効果はないであろう。
資格取得については、社会制度として必須のものについては取得が前提となるため議論の余地はない。
ただ、それ以外のものについては必要に迫られれば取り組まざるを得ないので、教養として努力するという意味では取り組んで損はないだろうが、それがすぐに大いなるメリットを自分に与えるとは思わない方が良い。
自己啓発セミナーについては、私自身が受けたことがないので偉そうなことは言えないが、基本的には意識改革を迫るものであろう。その必要性は否定するつもりはないのだが、目的解決のためあるいは目標達成のために自らが動くと考えたとき、意識は当然集中している。逆に明確な目標を自らが作り出すのではなく、与えられた形式で実行したとしてもおそらく汎用性に欠けるであろう。
要するに、必要が生じやる気になったとすれば、基本的には心構えはできるものだと思うのだ。

だとすれば、何かに取りかかる意識が自分の中に生じたとき、それを如何に良い方向にスマートに移せるかを知っておくことが重要なのだと思う。多くの場合には、一時的とは言えやる気が生まれたとしても、それを具体に移すときに様々な障害が待ち構えている。
例えば初心を容易に失ってしまったり、あるいはやる気はあっても何をすべきかを見失ったり。
それより何より、思いはあってもそれを前に進ませる方法論がわからなかったり。
そして今回のエントリで特に論じたい内容としての、自分や事象を客観視できないことによる問題もあるだろう。

自分の限界を打ち破ると言うことは、自己の現状認識を超えることであり、それは自己の持つ常識を自分自身で否定できることにも繋がる。自己の限界を打ち破るという言葉を聞いたときに、まず考えることは自己の夢が実現することであろうが、私はそれは少し違うのではないかと思っている。
最初の方でも触れたが、理想としての夢と自分が認識する現実には大きなギャップがある。この両者をつなぐための具体的な方法を見付けたり能力を得ることができれば夢を実現できる可能性は高まるだろう。しかし、私が思うには自己認識自体が正しいとは限らない。仮に誤った自己認識をもって理想の夢に向かう道筋を計画しても、立脚するスタート地点が異なるのであるから容易なことでは成功には至らない。

もし、自分を取り巻く状況を変えたい、自分を包む殻を破りたいと考えるのであれば、最初に行うべきはその状況や殻をきちんと見極めることであろう。多くの場合にはそれを破った後のことに気が向いてしまいがちなるが、なぜ自分が前に進めなかったのかという現状分析無しにそれはできようはずもない。
ところが、自分を取り巻く環境や状況を本人が正確に分析できているとは限らない。いや、正確に分析できていればそもそも現状を打破できずに拘泥している必然性はないのである。
実のところを言えば、自己啓発本セミナーも自己の客観視を重要視する。何のことはない、それをいろいろな言葉や方法論で説明しているに過ぎない。
ただ、人間は主観的な生物である。わかっていても、それが難しいというのはその通りであろう。
だから、自己を客観的に見る一番良い方法は人に聞くことだ。最初は、直言してくれる人も少ないかもしれないが、本気だと伝わればいろいろと教えてくれるに違いない。よく、企業トップが自分に批判的な人をそばに置くような話も耳にするが、これは自分を客観視する上で効果的であるからだと私は思う。

要するに、言葉を換えて言えば自分を包む殻とは自分が自分の都合で認識している常識なのだと思う。
世間の常識と似ていて微妙に否なる存在。それが自己認識という自分なりの常識。
そこには、おそらく自分に都合の良い解釈が多く含まれている。
もちろん人によってその程度は異なるであろうが、多かれ少なかれ存在する。
自分が現状を打破できない、包まれたからからだ出できない一番の理由はそこになるのではないかと考える。
だから、最初に考えるのは自分の持つ常識を打ち破ることなのである。

常識とは、それを守っていれば大きな問題を生じないという決まりや慣習のようなものである。
すなわちその状態を続けるために都合の良い決まりなのだ。
省力化には極めて効果的な存在ではあるが、逆に言えばそれ以外のことを行わないようにする縛りでもあり、常識を打破するとはその縛りを解き放つことでもある。
ただ、闇雲に破壊すればいいのではない。常識には一定のルールがある。普段気にしないそのルールをきちんと見定めて、ルールの目的を大きく逸脱しない範囲で別の手は打てないかと考えることが重要となる。何のことはない。常識の適用範囲を変更しようということだ。
だから、そのためには徹底的な状況の客観視が重要になるのである。

(その2に続く)