Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

スマートさとアグレッシブさ

近頃は、サッカー日本代表の評価がうなぎ登りである。女子サッカーなでしこジャパンによるワールドカップ優勝は驚きを持って世界に受け止められたが、それが偶然の結果でないことは誰もが知っている。
一方で、かつてはアジアの虎と呼ばれ恐れられたサッカー韓国代表チームは、今ひとつ上昇気流に乗ることができない状況にあるようにも見える。これは、中国女子サッカーチームも同様だ。
今回特にサッカーの話をしたいわけではないが、国民的な特性がこの点から窺い知れる感じがするため少々触れてみたい。

サッカーでの日本代表と韓国代表の違いは、イメージ論になってしまうがスマートさとアグレッシブさに見て取れる。この両者は全く相容れないものではなく、お互いにスマートさとアグレッシブさは持ち合わせている。ただ、どちらがよく見えてくるかにあるだろう。日本は華麗なパスサッカーを目指し、韓国はフィジカルにものを言わせたサッカーを行ってきた。実のところ、そんなフィジカルに圧倒されてきたのも日本だったし、ところが日本の成功を見てパスサッカーを目指したものの今ひとつ成功していないのが韓国であるように思う。

これは、サッカーに限らず各産業や貿易の状況においても同じ景色が見える。日本は基本的に完璧主義である。だからこその高品質だし、そのおかげでジャパンブランドが確立できている。一方で、韓国や中国などは日本のような完璧主義ではない。ただ、ここと思えば一気呵成に攻め立てる。それは悪い意味でも良い意味でも日本とは感性が異なる結果だろう。
日本の常識からすれば、その露骨で野卑に見えるやり方は噴飯ものかもしれないが、おそらくは文化が異なるため彼らはそうは思っていない。そして、現状の日本は一定の産業分野においてそのパワーに押されているのも事実である。もちろん、通貨安の効果もある。あるいは政府の産業政策の違いもある。
ただ、スマートさを理想として求める日本と、アグレッシブさに価値を見出す韓国や中国とはそもそも同じ方法論ではない。一部では、そのアグレッシブさを見習うべきだとの声も聞く。それでも、国民性と合わない方法の導入は現状の韓国サッカー代表を見るように混乱を招くだけではないかと思うのだ。

日本人がアグレッシブさを見習うべきなのは、おそらく行動面ではなく精神面においてではないかと個人的には思う。特に、日本国外との関係においてそれが強く望まれる。これは内需の大きな国であるが故に、日本国内で商売しても十分やっていけたメンタリティーをそのまま適用しているものであろう。もちろんスマートさを捨てるのではない。今よりは少し国外との交渉にアグレッシブさを高めようというものだ。このスマートさとアグレッシブさの違いを際立たせるのは、おそらくは計画性の深みではないかと思う。先を見通すという行為は知的でかつ計画的ではあるが、将来的に役に立つとしても現状を大きく変える力にはならない。逆に一見危なっかしくも見える行動力は、将来に及ぼす力が大きくなるとは限らないが、現状を打破するだけのパワーを備えている。
計画通り物事を進めることが比較的容易な、技術面や生産面などにおいて日本が世界的に抜きん出ているのはまさにこの面が役立っている。同様の傾向は欧州において日本と同じようなポジションにいるドイツにも言える。それは国民的な均一性が高く、それに違和感を抱かない国民性が大きく作用しているのであろう。
とは言え、どんなケースにも計画倒れと言うこともある。いくら緻密な計画を立てたとしても予想外の障害は訪れるものだ。その時に何が必要かと言えば一時的な瞬発力や爆発力であり、その瞬間を負けないという意地でもある。

アグレッシブさは得てして無謀な行動も引き起こす。韓国や中国の国内的な動きを見ていればそれはよく感じられる。彼らは最終形ではなく現在に生きている。その積み重ねによる行動は、日本などからすれば刹那的でかつ我が儘な態度に映るであろう。確かにその通りの部分も相当あると思う。
日本は、基本的には今まで通りで良いと思う。それが日本人の元来持っているメンタリティに基づく行動であるからだ。ただ、必要なときには並行して瞬発力や爆発力を見せて欲しいと思う。理性よりは感情。感情を封じ込めて最大利益を得るのではなく、必要なときに上手く感情を利用する。そのしたたかさが不足しているのであろう。

さて、翻って自分自身の行動を考えてみても同じことが言える。スマートな行動が格好良いと普段は考えている。そして、それが自分の想定できる範囲においてであればそつなくこなすこともできるであろう。しかし、自分のテリトリーから離れたときにスマートな行動をとり続けることは容易ではない。
全ての局面を見渡せるだけの卓見がなければ、スマートさを完遂することは容易ではない。外因的なイレギュラーに対応する能力も同時に必要なのだ。そして、その能力は意外と感情的な行動によってカバーされることが多い。もちろん無軌道なそれではなく、瞬発的な頑張りという意味でである。

望むと望まざると国際化が進展する現在、内輪的なスマートさだけでは全てを賄えないが故に、感情によるアグレッシブさを利用する術を私達はもっと学ばなければならないのかもしれない。
ただし、日本人の良さを失わない範囲でである。

「はったりだけでは生きられないが、はったりのない人生は少々つまらない。」