Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

改革という甘いささやき

いつの時代も、改革が叫ばれる。
今も様々な分野で改革の必要性が訴えられる。
改革が必要か?
それは確かに必要である。
旧態依然のシステムが社会の趨勢から取り残されれば、それは大きな流れをせき止める阻害因子として働いてしまう。
だから、社会は常に少しずつ状況を変え続けるのがよい。
常に最適化を目指すべきなのである。

ところが、現実には社会システムを徐々に変えていくと言うことは案外難しい。
それは、常に変化をすると言うことが大きな労力を必要とするためである。
それ故効率化のために、一時期固定的な社会システムで運営して、矛盾が大きくなった段階でそれをある程度大きく変えるという手法が採られてきた。さらに言えば、矛盾が大きくなった段階でもその矛盾により利益を得ている者たちは変化に抵抗する。それが既得権益者である。

だから、「改革」自体については否定的なものではない。
社会の実情に合わせた改革は実際のところどんな時代であっても常に必要とされるのだ。
ただ、この「改革」という言葉の用いられ方には大いなる疑問も持っている。
現状を変えることを全て「改革」という言葉でくくってしまっていると思えるのだ。
同じ「改革」ではあっても「改善」もあれば「改悪」もあり得る。
さらにそれは、同じ変革がもたらされても「改善」と感じる人もいれば「改悪」と感じる人もいるということだ。
すなわち、改革とは本来社会におけるリバランスを意味する。
実社会に沿った状態に調整することである。

しかし、先ほども触れたように社会改革は常に微調整により実行されるわけではない。
ある程度ゆがみが大きくなってから、一気に執り行われる。だから、その体制に安穏としている立場からすれば、自己の存続を賭けた闘争へと変わるのである。
さて、改革とは既存の体制を変革することではあるが、逆に言えば新たな力を得るものがいると言うことでもある。
その程度が本来あるべきバランスを超えれば、社会全体にとっては振り子が逆に振れただけのことでしかない。
言葉を換えれば改革者が既得権益者を相手にした簒奪者ともなり得るのだ。

要するに、本来目的とされるべきは改革ではなく現状に沿った適度なバランスを取ることである。
あるいは多少将来の予測を踏まえて先に進んだケースも考えられるだろう。
だから、改革は現状を壊すことではない。それは単なる破壊である。
また、単なる権力の奪い合いであっても意味がない。それは権益の移動だ。
さて、最近叫ばれる改革はどうなのだろうか?

私は、改革は必要だと思う。だから、社会の歪みが大きなこの時代に微調整で良いとは思わない。
ただ、その改革が外圧を利用したものであってはいけないし、改革後の下手な権益争いを見せられるのは噴飯ものだと思っている。
単に、改革を叫べばそれでいいという報道をするマスコミも程度が低いと思うし、今にしがみつくのもそれ以上に問題だ。
どのような改革をすべきか、どこまで改革をすべきか。それを判断する確かな目が必要であろう。

「改革という言葉には改善のイメージがある。しかし、改革が全て改善とは限らない。改革の行き着く先の革命は新たな権力者を生み出す機会に過ぎなかったのだから。」