Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

改革と成長を混同するな

TPP推進論者は、改革により日本の成長を促すと言ったイメージを利用している面があるように見受けられる。
しかし、この点については私はかなり疑問を有している。
本来、改革とは不均衡な配分を見直すリバランスであって、成長とは関係ないものである。もちろん、改革が成長の目を生むことはあるだろうが、改革で成長が図れるというのは大きなミスリードではないだろうか。
逆に言えば、成長は改革を行わなくても実現可能であり、同時に成長は改革すべき点を覆い隠してしまう面も持っている。

そもそも、近代社会成立前には外国への侵略やにより閉塞感の打破を狙ったのであろうが、現代社会においてはそれは建前上できない。そのため自然に社会の閉塞感打破は内部のシステム組み替えにより行うことが求められる。
「改革」とは基本的に実情から乖離してしまった社会システムのリバランスである。これは、既得権益層がシステムを利用して(適法だが)偏った利益を得ていたものを社会全体のバランスを考えて適切な形に戻すという意図があるだろう。
そのこと自体は非常に素晴らしいことであって、否定されるものではない。そのことにより新たなチャンスを掴む人が出れば、確かに社会の活性化に繋がる。ただ、改革をしたからと言って社会が成長するとは必ずしも言い切れるわけではない。特にそれは成熟社会において顕著である。

かつてモノの供給が不足していた時代には、経済成長は供給能力の拡大によって図られた。モノを作れば作るほど売れるわけであるから、当然どんどんと作ることのみが追求された。すなわち、先に市場を作り出した企業が勝つ時代であった。
次にある程度モノが飽和した状況では、製造過程を効率化したり改良することによってより効率的に生産した企業が古い企業を駆逐したい時代と言っても良い。高度成長期以降の日本は、特に改良を利用して世界的なシェアを確保していった。

そして、現在は生産量について言えば国内的には供給能力が過剰で需要が不足する社会になった。それがデフレの本質でもあるのだが、それはイコール経済成長の動向を左右する鍵が供給サイドではなく需要サイドが担う時代になったと言うことでもある。ここで技術改良を行って生産性を向上させたとしても、売れる量は限られている。だから効率化すればするほど、値段は下がり雇用は縮小する。
何てことはない。競争の激化により先細りになっていく社会である。改革を進めようが、パイの奪い合いによる浮き沈みはあっても、日本経済としての成長はそこには存在しない。国内の需要を拡大しなければ成長はないのだ。
だから、世界中の国々は通貨安を仕掛けて輸出拡大を図ろうとする。国内の需要拡大が容易でないとすれば、海外に売りまくって経済成長を図ろうということに繋がるわけだ。
幸いにも、アジアにはまだこれから成長をしようとする大きな人口を抱えた地域が存在する。こうした地域では単純に生活水準の向上に伴う経済の拡大が生じる余地がある。だから、日本政府がさんざん言っているアジアを取り込むとは、こうした地域にものを売って稼ぐと言うことになる。
これは、言い換えればこうした成長過程の国々からその成長に伴い生じる富の一部を奪っていると言うことでもある。ただ、現代社会ではそれを商品やサービスを売ると言うことで実現しているというわけだ。

さて、TPPの主張では国を開放して農業を改革して成長産業に変えるという話がある。農業体制の改革については私も賛成ではあるが、単純に自由化を進めることが農業などの成長に結びつくかと言えば、それは話が飛躍しすぎではないかと思う。一部の特化した農業は高品質の産物を作ることで世界に勝負できる品質を得るかもしれないが、その代わりに大部分の農業が潰れたとすれば、その輩出される失業者をどこで吸収するというのだろう?それは、一部の成功と多くの失敗を生み出すだけではないか?漫然と死ぬよりは華々しく散った方が良いと言えるのは、当事者でない人たちだけである。
要するに、TPPによる改革を主張する人たちも、結果的にはそれによって今以上の利益を得ることができるということなのだ。だから、改革とは言っても利益構造を移し替える手法なのである。
改革という社会のリバランスを、自分の都合の良いように利用しているとも言える。
本来は、公平な立場でリバランスを考えるべきところであるが、その公平さが担保される保証は残念ながら示されていない。全てを自由にすることが公平だとは決して言えない。なぜなら、その場合にはスケールメリットで大企業が市場を席巻してしまうからである。

また、タチが悪いと思うのが次の議論である。と言うのも、改革をするために海外勢を招き入れると言うことは、国内市場の偏った権益を再構築するために海外勢に国内のパイを与えると言うことでもある。だとすれば、海外勢が日本で得る分は国内市場における日本人が得る利益は縮小するということでもある。
失う富と同等以上の利益を海外で稼いで国内に環流すれば問題ないのだが、現状の輸出企業は国内環流をあまり行わない。だとすれば、国内を開放した分日本国民が損するのは自明の理である。
黒船ドクトリンと呼ばれるそれは、明らかに日本国民全体としてはメリットはない。いや、日本市場に見切りを付けて世界に打って出る企業と、規制緩和により海外勢のおこぼれを得る国内新規勢力は確かにメリットを得る。頑張った者が利益を得るというのはそうかもしれないが、それは海外企業を招き入れない方が明らかに日本国としてはメリットが大きい。
すなわち、改革の効率を最も高めるためには何でもかんでも国内市場を開放すれば良いというものでもない。

もっと正確に言えば、同じ国に所属していても国民と輸出企業は今や別の存在になっている。TPPなどの自由化を推し進めれば、日米の輸出企業(多国籍に展開する企業)が相手国民から利益を得て、企業内および投資家に利益を環流する。だから、日本国民もアメリカ国民も損をする仕組みだと言っても良い。
現状の議論でマスコミに最も欠けている視点は、日本国民と多国籍に展開する日本企業を同じ日本国民と扱っていることにあると私は考える。もはや、現代社会においては多国籍に展開する企業と国民の利益は一致しない。だから、大企業が成功することが多数の国民の幸せには繋がると限らない。

私も、現状のシステムに守られた既得権益は打破すべきだと思う。
そして、古くなってしまったシステムも変えるべきだと思う。
しかし、日本という飽和した社会経済においては改革は成長を直接は意味しない。改革が成長を意味するのは、中国のような成長過渡期の社会においてである。
改革の意義は認めるが、日本の再成長には別の対策が必要なのだ。

「成熟社会が目指すべき先にはQOLがあるはずだが、現実は消耗へのチキンレースを行っているように見える。それは、おそらく国民の幸福を削るであろう。」