Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

既得権益構造を破壊する

橋下大阪市長の人気に衰えは見られない。一時は、総バッシング状態だったマスコミもこの人気に乗じようと、直接褒めないものの世論の支持率の高さなどを扱うようになりつつある。
橋下市長の人気が高い理由は、現実に変えるべき点を明示してそれを間髪入れずに推し進めている点にある。
もっとも、多くの知識人達は橋下市長のやり方を快しとは思っていないようである。むしろ、眉をひそめるような人格攻撃的な非難も散見される。

橋下市長が目の敵にしているように映るのは既得権益の打破である。
劇場型政治だとすれば、自らに直接影響がないと考える市民達は大胆な政策に手を叩き拍手をする。実際、現状で攻撃を受けているのは公務員であり、特に現状では教育委員会労働組合がその中心にいる。

ところで、そもそも既得権益が問題とされるのは社会に閉塞感がある証拠である。多くの国民が、新しい仕事やチャンスを既得権益に阻まれていると考えている状態と言える。
ただ、経済が成長し続けていればおそらくその不満は今よりもかなり小さなものであろう。そもそも、既得権益と呼ばれるもののスタートは概ね互助組織である。成長期には社会の成長に取り残されないように、停滞期には自分たちの利益を少しでも減らさないように振る舞う団体だ。
その互助組織たる既得権益が国民の敵として成立するのは、それが経済的・社会的閉塞感ある時期であるという点が実は非常に大きい。

では、既得権益を壊せばその閉塞感は本当に打破できるのだろうか。
実を言えばこの点に関しては、私は少々疑問を持っている。
現在の社会を覆っている閉塞感は、おそらく既得権益が主たる原因ではない。既得権益を打破したからと言って社会がドラスティックに変化するわけではない。むしろ、社会機能の一部が停滞する可能性も考えられる。
既得権益はこのような停滞した状況において最もその効力を発揮する。それ故、不景気な今だからこそそれが大きく目立つのである。逆に言えばバブル花盛りの頃、既得権益は美味しかったのだろうか?おそらく、もっと美味しい世界があったので今と比べればあまり重要視されなかったに違いない。

では、既得権益とは何なのか。
それは安定した利益配分システムなのだと思う。もちろん、メンバーのみが浴することができるシステムだ。
全体のパイが大きくてもこのシステムはそれを大きく喰いはしない。しかし、全体のパイが少なくなったときには自らの権益を最大限守ろうとする。すなわち、社会変動と比較的切り離された存在なのである。
では、橋下改革が既得権益に切り込んでいるのを私が評価しないのかと言えば、これもまた違う。

体制維持を前提にして改革するか、体制の変更を想定して改革するかの違いがそこにある。
橋下市長は、別に既得権益システムを破壊することを目的としているわけではない。現状の体制を変えて新たなシステムを作り直そうとしているのである。
そして、それに大きく反対する知識人達の立つ前提は、これまでのシステムの根本は変えないで少しずつ改良しようという主張である。それは結果的に既存の権益をどちらかと言えば保護する方向になる。なぜなら既得権益も社会システムに組み込まれた存在だからである。

すなわち、そもそも議論が噛み合っていないのだ。
一からの創造を目指すものに対して、今のシステムを守りながら行動しろといくら言っても議論が交差する点がない。
そして、一からの創造は即ち既得権益にも大きな変化を促すと言うことである。
これは、行動成長期を過ぎた後の日本が十分に変わりきれなかった反省からスタートしている。現状のシステムをそれなりに心地よいと思う者たちは根本的な変革には反対し、それが良くないと思う者たちは小さな改革では不十分だと思っている。

私も大胆な組み替えは必要だろうと思っている。橋下市長のやり方が全て正しいとは思わないが、そこに口だけでなく行動で踏み出した勇気は評価されて然るべきものだと考える。

既得権益とは現状の社会システムにフィットした組織であり、現状の社会システムが大きく変えられればそのままでは存在し得ない。そのシステムを守るために社会全体を変えないというのが正しいとは思えない。」