Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

勝手な味方が焦土戦に導く

以前から何度も書いているが、私は基本的には橋下大阪市長のやりかたを支持している。ただし、やり方は良くても政策内容として支持できないものもいくつかある。
関西電力原発再稼働問題についても、圧倒的な支持率に後ろ盾されて既得権益に切り込もうとする方便としての再稼働拒否だろうと考えてきた。実際、市政改革においてもこれまでの通例で進められてきたものを一旦ばっさりとカットして、その上で本当に必要だともうもののみを復活するスタイルを取っている。生半可な勢いでは、既存公共事業にたかる体制は刷新できないという決意によるものであろう。

その上で、関西電力の方はと言えば橋下市長が望む情報開示を行わなかった。いや、おそらく今でも行っていない。相手がすり寄ってきたところに踏み込んで一気に変えるのが橋下流かも知れないが、それは自分が掌握する組織には通用してもそうでないところには通用するとは限らない。
それあ既得権益の抵抗だと言うこともできなくはないが、同時に強引な改革への抵抗でもある。改革を進めようとすれば当然その程度の抵抗はあると考えて事に当たる必要がある。さて、橋下市長のブレイン達はこの状況を想定して事を進めてきたのだろうか。私としてははなはだ疑問だと感じている。
橋下市長の後ろ盾は支持率しかない。その支持率は、彼のパフォーマンスによるところもあるだろうが、不当に(楽に)市からお金を得るもの達への不満が中心である。それ故に、公務員の給与引き下げも支持され、組合の不当な政治や行政への横やりを抑え込むことも大部分の喝采を受けた。
関西電力が、不当に稼いでいたというのは東電の例を見るまでもなく、公務員の延長線上にて国民が感じてきたことでもあるが、それは原発問題が全てではない。原発の再稼働に反対する人は少なくないが、それが理由で橋下を支持する人は必ずしも多くはないと思う。
そもそも、予想以上の関電の抵抗により引き返せなくなりつつあるが、当初の橋下市長は絶対的な反原発ではなかったと思うのである。強硬な態度を見せながら、電力状況を掴み判断をしたいというものであっただろう。さて、資料が出てこないから全ての責任を関電に押しつけて、実情に応じた判断をしなければ生じた問題の責任は誰に向かうか。普通に考えれば市民に対する責任を負う橋下市長の方である。
もちろん関電の態度が良いとは思わない。ただ、関電が相対する相手は少なくとも一市長ではなく基本的には国である。民主党政権が信用ならないからと言って、その権利が大阪市長に委ねられるわけではないのである。もちろん、そのことは承知しているからこそ株主としての立場を振るっているのだが、それでも少々走りすぎに見える。エネルギー問題は、国民生活だけでなく産業や安全保障にも関わる幅広い問題であり、即断するのが好ましいとは思えない。加えて、電力が足りるか足りないかの矮小化された議論になっているが、本来はバランス良い電力供給が可能かどうかを考えなければならない。

加えて橋下市長が考えなければならない問題は、原発再稼働問題以外にも山積している。だからこそ、批判を受けながらもサポートする顧問や参与を大幅に増やしたのだ。それにも関わらず、人選には正直言えばかなり疑問の残る人が少なくない。勝手な想像ではあるが、こうした人たちの意見に左右されて脱線してしまっている面があるのではないか。ここのところの報道を聞いてそんな気が少なからずしている。
ここで名前は挙げないが、元官僚の人やNPOのエネルギー研究所の人などがそれに当たる。元官僚の人はマスコミなどでも大きく持ち上がられているが、あくまで個人的な感想ではあるが私は最初からそれほど評価していない。
基本的な事実として彼は能力が高かったから辞めさせられた訳ではなく、省の方針に従わなかったから辞めさせられたのである。もちろん経産省内で一定の地位に就いたのだから相応の能力があるのだと思うが、TVなどで拝見する限りにおいて他の官僚と比べて特段有能だとは感じない。そして、彼の現在の地位は公務員組織に反逆したということにより成立している。だとすれば、彼が大阪府の特別顧問になって担当すべきは市役所の公務員改革なのではないだろうか。少なくとも大阪市の顧問が電力行政の構造を変えるポジションにあるとは思わない。橋下市長の依頼だとすれば使い方を間違っていると思う。
もう一人の方は言うまでもない。主張の方向性としては理解しなくもないが、最初から我田引水的な数字を使っていたので全く信用していない。

ところが、ここに来て関電の原発再稼働問題においてこの二人の言動がメディアを賑わすようになってきた。私にはこの二人が突出することが良いとは全く思わない。むしろ、橋下市長の政治に対する支持率を大きく落としかねない存在だとすら感じる。こうした顧問を選んだ市長の責任だと言えば全くその通りではあるが、自らの信念で勝手に焦土戦に突っ込んでいく突撃隊長は、指揮官からすれば扱いにくいであろう。それを使いこなすのもトップの器であると言えばこれもその通りなのだが。
その理由としては、彼らの目的として指揮官のためや大阪市民のためよりも、自己の主張を通すための方が前面に出てしまっているように見えるからである。それに引きずられるようでは、橋下市長も任期に翳りが見えるようになるのも遠くないかも知れない。これにより、日本が自律的に改革を行う上でのチャンスを失うことになるとすれば少々悲しすぎる。

「菅元総理と、こうした顧問の姿が重なって見えるのは私だけであろうか。」