Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

適正価値

格安深夜バス事故を経て、ものの価値は相応だという認識が広がっている。これらは、焼き肉中毒事件でも同じような話であるが、コストカットはあるレベルを超えると安全性を切り売りする。過剰なコストカットが問題であるという認識は広がるだろうが、実際にはそれを超える問題が社会には広がっていると思う。
例えば、インターネットの発展に従い無料の文化が格段に広がることとなったが、YAHOOなどを起点としてGoogleからFaceBookへとその流れは継承している。いや、そもそも無料のブラウザが提供されているという時点(Netscape)それは始まっていた。要するに利用者と資金提供者の乖離である。ネット広告により上記のような企業は収益を得るが、それは利益を得たものが代価を支払うという構造を大きく変えた。もちろん同じような仕組みは過去から存在したものではあるが、それが世界中のそして個人レベルでも参加可能なものとして広がったのはやはりネットの広がりと共に出あろう。
そこで世界中の人々は無料で扱えるものが多くあるという世界に足を踏み入れた。それはビジネスモデルとしては画期的であり、集客こそがその利益の源泉となるという意味でも資金の流れを大きく変えたと言っても良い。逆に言えば、無料で手に入る多くのコンテンツ無しには成立しない業態でもある。
DeNAやグリーのケースも似ているが、こちらは射幸心等を煽ることで一部の利用者から大きく収益を上げる構造だ。似ていると言えなくはないが、まだサービスを受けるものと支払うものの関係は一般の構図に近い。問題とされうるのは明らかに一部の利用者が大きすぎる費用を負担していると言うことであり、それを自己責任とするか一定の規制を社会としてかけるかが問題となり、現状では規制側に動く感じである。

商品取引などではフェアトレードという議論も存在する。適正な価格で取引を行おうという考え方ではあるが、製造者や生産者の利益を安定させるが、一方で市場原理を否定して価格統制をしているという面もある。そもそもフェアであるかどうかを誰が決めるのかという根本的な問題の解決は容易ではない。資本主義社会においては市場が適正価格を決めるという大原則があり、様々な弊害はあるものの価格決定権を生産者から消費者側に移行する役割の一端を担う。
一般的には、市場は以下のように変化する。

1)開拓期・・・少数の先行者が高い利益率を誇る。但し認知度はそれほど高くなく市場は小さい
2)拡大期・・・多数の追従者が市場に参加すると共に、市場そのものが拡大。その後、競争の激化と価格の下落
3)淘汰期・・・市場ルールの徹底などにより、参加者の一部が淘汰される
4)安定期・・・市場は低い利益率により安定化、あるいは別の方法が主流となり徐々に衰退する

適正価格やフェアトレードの問題が出てくるのは、2)の拡大期の後半に競争が激化する時であろう。それを品質を落とすことで賄うのか、販売者が生産者を叩くことで賄うのかなどいろいろとああるが、根っこの部分は変わらない。フェアトレードは、すなわち市場原理による過当競争を否定するものでもある。

こうした問題を眺める時、適正価格という考え方は消費者側には今ひとつ馴染まないのではないかと思う。なぜなら、価格決定権は市場に影響を受けつつも販売者にある(生産者には直販でない限り無い)。一定の品質を条件にすれば市場により収束するだろうが、現実は皆が知るとおり品質や安全率を落としてでも価格を下げる例が後を絶たない。激化する競争下では、適正な判断が常に為されるとは限らないのだ。
だとすれば、消費者側から考えるとサービスや製品に応じた適正価格があるという考えよりは、価格に応じた適正価値があると考える方が良い。繰り返しになるが、価格決定権はフェアトレードの議論があったり市場の意思もありつつも、結局のところ提供する側の裁量に委ねられている。品質を変えることにより価格の変動に対応できるのである。

価値はリスクと捉えることもできる。リスクと価格は必ずしも反比例しないものの、緩い相関関係は存在する。消費者は何を持ってリスクを回避するか。それは一つに価格であり、あるいは信用や実績である。価格は、リスクを知らしめる上での大きな要素となる。偶然これまではリスクが顕在化しなかったとしても、今後もそれが続くとは限らない。安くて良いものが存在することは認めるが、全てがそれであるはずもないであろう。

「『値段なり』と言う言葉がある。おおよそ値段に応じた品質という意味だ。商品やサービスを提供するものが利益を得ようとすれば、基本的には値段・価格に応じた品質しか提供できないのは普通に考えれば当然である。」