Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

政治家をタレント化するな

政治が国民目線から外れている。
あるいは、政治家は国民にわかりやすい言葉で語りかけていない。
政治と生活が乖離している。

いろいろな言葉が飛び交ってきて、最近では様々な政治家がTVに出演するようになった。政治家が、多くの人の見るメディアに登場すること自体は悪いことではない。特に、宣伝媒体としてのそれではなく、時には厳しく突っ込みを入れられるそれは、国民の前に政治家の実像を示すという意味で意義はある。

かつては、政治家などと言うものは遠くて近い存在であった。
ニュースやNHKで報道されるもの、選挙の時のみ身近になる存在。
「センセイ」と呼ばれ、恭しく扱われていた存在。

しかし、現代では確かに身近になった。その価値はかなり貶められ(現実に近づいたとも言える)、軽んじられつつある。それは同時に政治家を目指すものにとってはハードルが低くなったとも言える。だから、単純に良い悪いで評価することは難しい。
ただ、政治が大衆化しつつあると言うことは言えると思う。

近年も二世議員の問題が常に言われる。二世議員は世間知らずで坊ちゃんだという一般的な認識が醸成されている感もある。しかし、逆に考えれば政治家が特定の階級の人間が多く所属する職業だったとすれば、二世、三世が多く生まれることもあながち不思議な話ではない。
それが特権階級であるなら現代日本では問題だが、一定レベルの収入しか得られない職業であるとすれば、階級の固定化に結びつくとも言い切れない。

もちろん、二世議員であっても一度は民間企業などの世間を経験しておくことは重要だ。逆に、リベラル系の議員も昔から組み合い一筋だったり、あるいは市民運動一筋であれば、実質的には二世議員と経験面では何ら変わりはない。議員の地位に就くための努力が多く必要だったかどうかの差があるのみだろう。
それは、努力を評価するという意味では重要だが、政治的能力があるかどうかで言えば全く関係ない。二世議員の方が子供の頃から政治のなんたるかを身にしみて感じ、記憶しているとすれば、それも功罪共々なのだと思う。

さて、近年の小泉チルドレン小沢チルドレンといった議員たちは、小選挙区制が生み出した一種のブーム的な存在であるが、同時に政治を大衆化したものとして記憶される。実際、政治家になる十分な準備や心構えのない議員も多数おり、その存在意義が揶揄されているのはやはり政治の大衆化の結果ではないだろうか。

この政治の大衆化については、マスコミも大いに貢献している。
おそらくはコンテンツ不足を補う存在としての評価だと思う。特に、TVの場合はジャーナリズムよりは営業戦略が勝る。
その結果、やや真面目系のコンテンツの一部として政治や政治家を捉えているフシがある。

それは、政治を多くの国民に知らせる上では効果がある。これまでは無関心が広がる一方であった政治分野にも多くの若い人たちが関心を向けるようになってきたのも、特にここ数年強く感じる。
その意見表明自体は、ネット上の匿名掲示板レベルから、さらには政治について語る多くのブロガーが生まれてきていることからも伺える。

政治が多くの国民の意識に広がり浸透すること自体は、決して悪いことではない。日本は民主主義国家である。政治とは、国民の意見を主役代弁する制度なのだから。

ただ、TVによる報道はジャーナリズム的ではあってもジャーナリズムではない。だから、政治家はあくまで番組コンテンツの構成要素の一つでしかない。
政治は広く国民の認識を受けなければならないが、だからといって政治が安直になってはいけない。わかりやすいに越したことはないが、問題を単純化しすぎて矮小化させてはならない。

すなわち、政治は非常に難しい職業であって、誰でも出来るものではない。議員は基本的に誰でもなることが出来る。しかし、政治家としての能力がある者もいれば無い者もいる。
このイメージで言えば、「議員」≠「政治家」なのだと思う。

TVはこんな議員を全て政治家として報道する。
もちろん、どんな素人であっても国会議員である以上立場が政治家であることは事実だ。ただ、おそらく「○○家」というプロフェッションを名乗るだけの能力がない国会議員が少なからず存在する。
これらを面白おかしくいじって、政治を大衆化するのもTVの仕業である。

政治を志す意欲を削ぐつもりはない。ただ、政治家もその能力により淘汰されなければならない。その淘汰は政治的能力により為されるべきなのだが、実際には別の人気により決定される。
それが確かに政権交代というダイナミズムを生み出したのは事実かも知れないが、その結果がこれでは単なるイベントであったと言うことでしかないではないか。
イベントを生み出したのはマスコミである。それは、飯の種だから。。。それでは悲しすぎる。

「政治家はマスコミを道具として利用しようとし、マスコミは政治家を道化として利用しようとする。」