Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

戦場ジャーナリスト

 安田氏の会見が行われたが、私自身直接見ていないものの伝え聞く内容からは、彼の活動の意義を見出せる強いものは感じられなかった。ただこの問題は、彼個人に卑小化できる部分と、別の大きな構図で見るべき部分があるように感じている。特に今回目立ったのは、フライング気味にマスコミ関係者から漏れ出た擁護論ではないだろうか。自己責任論に反発するように繰り広げられた展開は、先ほどの大きな構図、特にジャーナリストの在り様について考える良いきっかけではないかと思う。

 権力の暴走を抑えるためのジャーナリズムについては、私もその必要性を認めている。戦場ジャーナリストは、戦争の悲惨さや暴走する権力の在り様、そして大きな権力ではなくとも無秩序を拡大させるような理念の存在を明らかにしてくれる。隠された秘密、権力者が隠したい問題を社会に問うことの意義は十分に認める。私たちが知らないところで自分たちの生存を脅かすような行為が進展しているのを看過できない。
 だが、一方でジャーナリズムは商行為でもある。誰かのために命をかけている振りをしても、あるいはそのような目的を語ったとしても、あくまで成功時の報酬はジャーナリストが一手に獲得する。誰かにとって不都合な真実を暴き、その情報を売るのが商売である。スクープを得ることはその業界では賞賛され、時には世界を感動させることもあるだろう。しかし、それはあくまで派生的な結果であって主目的ではない。

 私はインターネットやSNSの急速な進展により、現在ジャーナリストの地位がかなり脅かされる状況になっていると考えている。特に、ハードボイルドなイメージで想像できるような(戦場もそうだし、政治系もそうだろう)ケースは内部リークが容易になっただけにより難しい。社会系など、問題が整理されていなかったものを、再整理して問題として顕在化させる方向は、まだまだフィールドがふさがっているとは思わないが、より脚光を浴びるような舞台はどんどんと狭く。そして深くなっているのではないだろうか。少し足を踏み込んで得られる程度の情報は、既に当事者たちが様々な形で、しかも無料で情報発信をしている。とすれば、ジャーナリストと呼ばれる人たちはよりディープなところまで踏み込んで行かなければならない。
 一方メディアはあくまで企業であり、雇用者の安全を守らなければならない責任を負う。日本のテレビ等で偉そうにジャーナリズムを語る人たちは、決して本当のジャーナリストが向かう場所には赴かない。むしろ、多くの得られた情報を加工して報道する情報商社業に勤しんでいる。そして、その使い走りとしてフリーのジャーナリストたちが、情報を大手メディアに売って歩いている。

 フリーの彼らは大きな資本を持っていない。すなわち、多くの経験を積むための投資も、十分な準備をするための資金も有していない。精々持っているのはチャレンジ精神と、幾ばくかの知恵である。それでも経験を積むうちに能力の高いジャーナリストになっている人も少なからずいるだろう。ただ、それと同じくらい以上に能力が不足しているにも関わらず、身の丈を超えた場所に飛び込む無謀さを兼ね備えた人たちもいる。私は今回の安田氏もそれに近いのではないかと想像している。
 彼らが無謀にならざるを得ないのは、フリーであるが故の一攫千金(実際には知名度)を狙わなければ報われない状況があるように思う。そして、状況を無意識的ではあろうが間接的に後押ししているのが、日本の大手メディアとそこに在籍している自称ジャーナリストたちだろう。こうした後ろめたい気持ちを隠すためにも、彼らは安田氏を守らなければならなかったと考えるのはおかしな話だろうか。

 だが、ジャーナリズムを取り巻く状況は加速度的な変わりつつある。日本では定着できなかったが、韓国発のオーマイニュース等一般人が報道に関わる(彼らもジャーナリストと言ってよいではないか)仕組みがかなり前から試みられている。メディアそのものの信頼性がネットに取って代わられる状況は現在も進展中だし、新聞はもはや情報産業から実質的に不動産業へと移行しつつある。
 そこで糧を得ているジャーナリストたちを取り巻く状況も厳しさを増しているのは間違いなかろう。今はまだジャーナリストとしての活動を出来ているかもしれないが、実はメディアに登場するジャーナリストたちは多くの場合何かの専門家ですらない。すなわち、多くの情報を正しく分析出来ているとは限らない(むしろ自分の主義主張に合わせて加工すらしている)。ネットでは、様々な専門家たちがより正確な分析を繰り広げており、自称ジャーナリストたちの分析はそれには遠く及ばない。

 ジャーナリズムは(1)情報入手、(2)情報分析・整理、(3)情報発信により成立すると考えるが、(1)の土台が崩れつつあり、(2)は専門家に遠く及ばず、(3)のみを現在死守している状況にある。そして(3)の立場を理由に、(1)と(2)をあたかも自己の能力で行えるように虚飾すらすることもある。
 もちろん、専門家は自分の分野には強くとも総合的な判断能力には欠けることも多い。それを補うのが評論家と呼ばれる人たちになるが、ジャーナリストはその立場を得ようとしている感じが強い。しかし、そこまでの能力を持つジャーナリストがどっれだけいるのであろうか。
 結局、安全な日本国内で叩いても問題ない政府への報道を、重箱の隅をつついて探し回っているのが現状かもしれない。そういう意味において私は能力不足だったかもしれないが、安田氏の行為は国内でぬくぬくとしている自称ジャーナリストやメディア関係者よりはマシではないかと思う。そして、上から目線で彼を擁護しているふりをする姿勢に反感を感じている。

 メディア、そしてジャーナリズムは、こうした意見に対してどのような反応を見せてくれるのであろうか。兎に角、不勉強な記者が尊大な態度を取っていることに対して、国民は「そんな特権階級を与えたつもりはないぞ」と感じていることを内省してもらいたいと思う。
 ジャーナリストは一つの商売なのだ。