Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

「いのち」に差はあるのか?

正直言えば差はないと言ってしまえば何の問題もない。
しかし、敢えてここでは考えてみたい。

まず、『人の命は地球より重い』と言う言葉が最初に思い浮かんだ。
これは、1977年に発生したダッカでの日航機ハイジャック事件における時の福田赳夫首相が言った言葉である。
これは、日本政府がハイジャック犯に屈したという意味でも大きな物議を醸し出したものだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AB%E6%97%A5%E8%88%AA%E6%A9%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この思想が間違っていると言えるほど、私が明確な思想を有しているはずもなく、でも一方で本当にそうなのだろうかという疑念も抱いている。

例えば、死刑制度。
死刑制度については少し前にそこそこ突っ込んで自分なりの意見を書いた。http://d.hatena.ne.jp/job_joy/20110724/1311521730

私自身の結論としては、現状の社会維持を目指すのであれば、そのためのルールを犯すものについて数が多くなりすぎないという前提の下に、死刑はやむを得ないというものだった。

これも、命というものを扱うことを考えたときに、避けて通ることは出来ない。
この死刑についても、昭和23年に最高裁で判決が下されている。

「死刑は憲法が禁止する残虐な刑罰に相当するか」が争われた上告審の判決文の中で使用された言葉としても存在する。「一人の生命は全地球よりも重い。死刑はあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な窮極の刑罰である。」
しかし結果的に最高裁は、絞首による死刑はかまゆで・火あぶりなどとは違って残虐な刑罰ではないと判断した。

まず、絶対的な命題として「命が重要かどうか?」を問われれば、そこには疑念の余地はない。
それは重要なものである。それは、人の命に関わらず重要視されるべきであろう。
ただ、そこでも人間以外の生物の命には、人間との間に厳然たる差が設けられている。

害虫は駆除されるし、害獣も駆逐される。
家畜は生存中は大切にされるが、それは最終的に人の生存のために供されるが故である。
少なくとも、普通に考えれば人の命よりは明らかに軽い。

人に限っていっても、現実は明らかに異なっている。
アフリカの人の命は、あくまで見かけ上ではあるが先進国のそれよりは明らかに軽い。
それをよしとは言わないが、それを消極的に維持しているという事実もある。

アフリカの人と、先進国の人、なぜ命に差が生じてしまうのか?
それは、結果的には生活水準の違いと言うしかないと思う。あくまで仮説である。私の考えた、、、というか多くの人も考えるであろう仮説。
それでも、おそらく経済的な豊かさは人の命を重くする。
逆説的な話ではあるが、経済的な貧しさは人の命を軽くするであろう。

仮に、上記の仮説が正しいとすれば、命を守るために豊かさを維持することは一定の条件下ではあろうが正しい。
すなわち、いのちを守るために経済は無視できないのだと思う。

もちろん、「いのち=経済」と言うほどの論理飛躍をするつもりはない。
しかし、いのちと経済が独立していると考えるのも無理があるのではないか?
心が豊かであればよいという言説もあるだろう。アフリカの原住民も心豊かに暮らしているかもしれない。ただ、心が豊かであっても命が守られるわけではない。

例えば、高度な医療により多くの人の命が救われるようになる。これは、経済的な豊かさと関係ないものではない。
また、食糧の大部分を輸入に頼っている日本においては、それを購入する費用も稼がなければならない。これも経済がある程度以上の役割を果たしている。

他にも例を挙げればおそらく枚挙にいとまはない。

命をイメージで扱えば、おそらくそれは絶対だ。
それは私も認める。
しかし、その絶対性を担保する条件の一部に、おそらく経済も含まれる。

命が経済より大切だという人は、それでも命を優先することにより失われる経済が、逆に命をどれだけ軽くするかには触れていない。

仮に、命に差があるとすれば、その差をつける一つの要素として経済が関わっている。
それは、そのことを考える人にとっては不条理なことであろう。
私もある限定された範囲においては、やはりそれを不条理だと思う。
しかし、物事を正しく見極めるためには、現実を直視する必要がある。
それが夢や理想とどれだけ異なっていたとしても。

その上で、夢や理想に近づけるために、何をどうすれば良いのかを一歩ずつ考えていかなければならないのだと思う。

そして究極の命題が残る。
「命に差があることを無くすことが必要か?」

これに答える術を、私はまだ有していないようだ。

「不条理を認めた上で不条理に抗うべきだろう。不条理を認めないために抗うのは、問題そのものを消し去ろうという不条理を招き寄せる。」