Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

弱い弱い詐欺

 失われた20年、日本オワコン説などの日本はもう没落していくといった負の雰囲気はアベノミクスにより気持ちだけは上向きつつある。もちろん、そんなにすぐに実体経済が急激に上向くほどの政策を打ったわけでもないし、実際世界中からも様々な形での批判は受けている。ただ、だからと言ってマインドが一時期のどうしようもない状態から改善しつつあるのも事実であろう。それは、何もアベノミクスのおかげというものではなく、永らく続いた疲弊感や緊縮状況から脱皮したいという感情が広がっていることもあるのかも知れない。

 しかし、現実に日本はそんなに酷い状況なのだろうか。確かに政府債務は対GDP比で世界最悪のレベルにある。先日も、政府債務が1000兆円を超えたという財務省のアナウンスが出ていた(http://www.cnn.co.jp/business/35035799.html)。政府債務を「国の借金」という誤認を招くような呼び方をしているのはご愛敬とさえ言えるレベルではあるが、既に多くの人は政府の債務は同時に国民の債権であることを知っている。日本政府にお金を貸しているのはその大部分が日本国民であって、世界の他の国から借りている訳ではない。
 一時的な経済の破綻や大混乱を招くためにあってはならないが、それでも日本政府は極論を言えば政府債務をチャラにできる方法はいくらでも保有している。理想形は増税ではなく緩やかなインフレにより絶対値ではなく実質的な借金額(例えばGDP比)を減らしていけば良いのだが、現状ではインフレどころがデフレをようやく脱却できるかどうかと言うレベルでしかない。

 なぜ日本がダメでなければならなかったのか。もちろん現実に経済が低迷していたのは間違いないのだが、だからと言って日本以外の国家のような過度の金融経済不安が生じた訳ではない。むしろ、バブル崩壊という負の遺産を如何に国全体(この場合国民や国内企業)に負担をかけないように処理していくかが最大のミッションであった。現状の政府債務の拡大はその代償でもある。
 もちろん、そのために世界中の国々が景気拡大に湧いた時期(リーマンショックの前あたり)に日本のみ取り残されていたのは事実である。大恐慌以降の世界でもっとも最初に巨大なバブル崩壊を経験したのが日本であったのだから、仕方がないことだと言えなくはない。
 大きく痛手を負った日本経済なのだから、体力回復に努めて無理な拡大策を取らなかったことが逆にリーマンショック後の痛手を緩和させることとなった。

 このように日本が停滞していたコトによるメリットとして何があったのかと言えば、一時的に吹き荒れた日本バッシングからの忌避であったと思われる。一時期日本がアメリカを席巻していた時には、様々な形で日本にターゲットを絞った不公平な措置が検討され導入された。
 それに対する準備が不十分だった日本は、バブル崩壊という形で見事に自滅してしまったが、現在は拡大する中国を隠れ蓑に上手く勢力を伸ばしているようにも思える。円高不況が叫ばれてきた折、確かに一部の輸出企業がそれにより大きく痛手を受けたのだが、この時期に日本企業は最大級の海外企業買収を行っているのもまた事実である(http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_eco_company-mahttp://www.bloomberg.co.jp/news/123-MJZWP96S972Z01.html)
 円高を背景にした海外企業買収は、日本経済が絶好調であれば様々な制約が課せられたのではないかと思うのだが、幸いにも日本経済が好調でないが故に大きな国際問題とはされていないのではないか。中国企業による欧米企業の買収は、その方法がスマートではないことも手伝って様々な反対を生み出している。逆に中国がトラブルを引き受けてくれるからこそ、日本企業による地元等に配慮した買収がスムーズに成立しているという面があるのではないかと感じている。

 バブル崩壊で日本が学んだことは、過度な過信が自らを危機に追い込むと言う教訓と同時に、世界を敵に回さない上手い立ち回り方ではないかと感じている。戦後の日本の経済成長は、世界に対してはアメリカの衣を借りてのものでもあった(もちろん日本企業の努力があってこそ)。一時期のアメリカの凋落に乗じて陽の目を見ようとしたが(ジャパンアズナンバーワン)、それにはあまりに多くの障害を相手にしなければならなくなったのだと思う。
 権威ではなく実利を追求してきたのが日本の世界における動きである。確かに、自尊心は満足させられないかも知れないが、それを別の文化の面で補ってきた。日本文化の世界への広がりは、ビジネス面が良く語られるが実際には実利の確保故に逸してきた体面を埋め合わせるものであったのではないだろうか。

 今、日本は実利のみならず体面も確保しようと動き始めている。それは、一つに中国や韓国による実利よりも面子を重んじる攻勢を受けてのことである。日本としては、面子は献上しても実利を追求できれば良かったのだが、面子を基に日本の存在意義そのものを毀損しようと攻勢をかけてくる両国に対して抵抗しようとすれば、実利以外にも配慮が必要となった。また、円高(逆に言えばウォン安など)による実利面での歪みも関係している。
 ただ、これは表になるべく立つことなく実利を追求しようとしてきたこれまでのスタイルとは異なるものでもある。これまでのスタイルを貫こうとすれば、実利面でも看過し得ない損失が出始めたのである。変えなければならないが、新しい方法論は今のところよく見えない。