Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

やめたければ、無意識に訴える

今週のお題「やめたいけど、やめられないこと」

昨日の日記で100エントリを達成したこともあって、お題に初めて答えてみる。
ただ私は現在やめたいと願っているものは特にない。
だから、本当のところを言えば正確には答える権利がない。

しかし、世の中ではやめたくてもやめられないという声はよく聞く。
なぜやめられないのか?
答えは簡単だ。
意識(≒理性)はやめた方がよいと考えているものの、無意識がそれを阻止している。無意識は本能とは同じではないが比較的近い。

それは、やめたいと考えている事柄を無意識は快適だと認識しているためである。

例えば甘いものがやめられない。
理性では太ってしまうと理解している。
しかし、無意識は甘さの誘惑に勝てない。

薬物汚染も似た構図にある。
やめられないのは、無意識がそれを求めることによる。
強い意識を持っているときには、無意識の働きに抵抗することも可能であろう。しかし、その意識が緩めば途端に抵抗しきれない。
禁煙が、飲酒の場で破られるのはまさにこのパターンだ。

もちろん、誰もがそのことを知っている。
だから、「心が弱い」とか「決心が不十分だ」と非難の対象になることも少なくない。
しかし、人間にとっては無意識ほど御しがたいものもない。
だから「やめたいけど、やめられない」のである。
そして、幾度かの失敗の積み重ねが無意識に新たな枷を加える。

『無理なんだ。。』と。

では、本当にやめられないのか?と言えば必ずしもそうではない。
無意識の認識を変えればいいのである。
でも、当然ながら普段は人の無意識の認識を操作などできない。
だから、やめられないのだ。

無意識を操作するにはいくつかの方法がある。
一つは催眠による操作である。
よく、催眠術師がTVなどで嫌いなものを好きにしたり、辛いものを甘く感じさせたりしている。これは、人の認識を変えていることによる。
だから、催眠療法を利用すればやめることができることもあるだろう。ただ、それは人によって、あるいはそのやめられないものへの依存度によって、どの程度効果があるかは異なってくる。

しかし、わざわざお金を払わなくてもできる方法もある。
自己催眠とまでも言わないが、自分自身に暗示をかける方法である。
この方法については、催眠術師の南裕氏がTVなどでも施した例があるものだが、「ミラー催眠」と呼ばれる方法だ。

方法は非常に簡単である。
まず、やや暗い部屋でなるべく大きめの鏡の前に立つ。
あとは、やめたいことを繰り返し鏡の中の自分の目をしっかり見ながら、10〜15分間ポジティブな言葉で繰り返し言い続けるだけである。

例えば、たばこがやめたければ、
「今からたばこをやめることができる」
「必ずやめることができる」
「たばこをやめて健康になる」
「たばこを吸わなければ空気が美味しい」
など、たばこをやめることにより得られる効用を自分自身に言い聞かせるのだ。

できれば、数日繰り返す方が望ましい。
加えて、それを信じて強い心を持っておく必要がある。
「どうせ無駄だ」などと考えながら行っても効果が薄くなる。

また、この時発する言葉はなるべくはっきりとした言葉である方が良い。要するに、繰り返しポジティブな言葉を自分に言い続けることで、自分の無意識に働きかけているのだ。無意識を教育していると言っても良い。

こう考えれば、催眠術と呼べるほどの高度なものではないかもしれない。それでも、これは自己催眠の一種であり、自己暗示と言っても良いだろう。
自らの無意識にある「やめられない」というイメージを、別の言葉で置き換えようとする作業である。

もちろん効果に個人差はある。
しかし、人の無意識というのは意外とこうした努力を受け入れてくれるものである。

考えてみれば、イメージトレーニングがそれに当たる。スポーツ選手などは多くの人が行っている。ポジティブなイメージを繰り返し意識することで、自らの無意識にそれを植え付けているのである。
その効果は、イメージトレーニングが多くの場所で用いられていることが証明している。

その上で、言えることがある。
多くの場合、「やめたいけどやめられない」のではない。
実のところ「やめる気がそこまで強くない」のであろう。

「やめる気が強くないのは、やめるための強い理由がないからである。やめたければ、まず強い理由を作る必要がある。」