Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

メガソーラーって本当に良いの?

ソフトバンク孫社長が推進を表明して一気に脚光を浴びた。
基本的に発電コストが高いことは知られている。太陽光パネルによる発電コストは火力発電などと比べても数倍高い。
また、太陽光パネルは製造に必要な電気量もかなり大きい。
そのことを持って、太陽光パネルのことを「蓄電池」と揶揄して呼ぶこともある。もちろん太陽光パネルが電気を蓄える訳ではない。製造時に投入した電気を、太陽の光を浴びて復活させるという意味である。
そのことを持って、太陽光パネルは日本では製造せずに輸入により賄った方が、日本国内としては電気消費量も増えずに結果的にCO2の排出量も少なくてすむという意見もある。

製造時の投入エネルギーの話はさておいて、それでは近頃話題に上る巨大な太陽光発電装置、いわゆるメガソーラーとは意味があるのであろうか?
当然、小さな装置よりは装置を大きくした方が効率的になるのは間違いないであろう。そういう意味では、効率性は向上する。

しかし、個人的には良くないと思っている。
耕作放棄地に設けるとされているようだが、考えてみてほしい。
地面の上に巨大な傘がかかるわけだ。太陽からの恵みは全て地面に届かなくなる。
熱は反射される。光の一部は電気エネルギーに変えられる。

その下の地面は???
まるっきり光が来ない暗黒の地面を作るのだ。
もちろん、メガソーラーの隙間から漏れる光はあるだろうが、草も育たない地面を作る。

そりゃ確かにそれまで人は使っていなかった。
でも、人以外の生き物は利用してきた場所。
その環境をおそらく激変させる。

砂漠の上なら、影響も少ないであろう。
しかし、草木も育つ場所を巨大な砂漠に変えてしまう。
出力は面積に比例する。
エネルギーを追えば追うほど、巨大な自然が昼でも暗い場所を変わってしまう。
「メガソーラー」
それは、地面まで届く太陽光を途中で掠め取るシステムである。
その設置される地盤が既に太陽光を必要としない場所であればいいと思う。
でも、耕作放棄地だからと言って人は利用しないが自然は太陽光利用している。

自然環境によいはずの発電システムとは言っても、結果的には自然環境には大きな負荷をかける。

私は、メガソーラーよりは屋根上にパネルを設ける方がまだ理にかなっていると考える。
それは普段利用しない屋根の活用方法であり、かつ建物に入る熱を抑える。
しかも、電気の消費地と生産地は近接しているのでロスも少ない。
メガソーラーは、結局のところ企業倫理に引きずられた自然破壊を伴う発電方式ではないのだろうか?
太陽光を一部透過する太陽光パネルも存在する。しかし、それはコストも高く発電能力はかなり低い。それではペイしない。だから、現実に用いられることは少ないし、メガソーラーに用いる意味はない。

太陽光発電自体を否定するつもりはないが、メガソーラーは日本という自然豊かな国において正しい方法なのかどうかは個人的には疑問に思う。
これを、自然再生エネルギーを主張する人たちが推進していると考えれば、逆に滑稽でもある。

「物事には常に両面がある。一面で良いことは他面では悪い。そのバランスを考えない行動は、認知せざる部分で損を被る。」