Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

学歴の意味

そういえば、最近はあまり学歴社会という言葉を頻繁には聞かなくなったような気がする。
マスコミにも学歴社会という言葉はあまり登場しない。
では、かつてその言葉が使われていた頃と比べて社会は大きく変わったのかと言えば、それほど変わったとも感じられない。ゆとり教育の成果なのかもしれないが、学歴がそれほど意味を持たないと言うことが知れ渡り始めた結果ではないかとも感じている。

では、学歴の高いと称される学校に行く必要はないのか?と問われれば、私としては次のように答えるであろう。

「学歴はないよりはあった方が良い。しかしそれは絶対的なものではない。学歴差は人脈の差に過ぎず、人脈はたかだかスタートラインを少し引き上げる程度のものである。」

では、良い学歴を有しているとどういうメリットがあるか?
それは、良い人脈を得やすいと言うことだと考える。
もちろん社会的な評価が表面的には高くなるという側面もある。だから、有名企業に入る上ではそれなりのメリットはある。しかし、これも社会に出てのスタートラインの差に過ぎない。
一般にレベルの高いとされる大学には良い教授や講師陣がいる可能性は高い(あくまで可能性で個別によいかどうかは別)。さらに、その卒業生で社会的に成功している人も多い。それ故、先生やOBに認められればいろいろと有利な扱いを受けることができる。
これが、人脈というメリットに当たる。

とは言え、この人脈を生かせるかどうかはあくまで本人次第だ。
いくら良い大学を卒業しても、他人と関わるのが嫌いであれば人脈を生かすことなどできないだろうし、人脈を生かしたくても本人がその人脈となる人たちから評価されなければこれも意味がない。
人脈とは、簡単な人物保証である。その能力と信用を伺い知るための形式的なものにすぎない。
だから、形式を超えた実際に入るためには結局のところ本人の能力が必要である。
本人の背後に連なる大きな力(学閥の存在)が作用することも無いわけではないが、それは個人の成功を意味しない。あくまで学閥に連なる存在として評価されるのみであろう。

だから、良い大学を卒業していなくても本人に十分な能力があれば、結果的には評価される。
ただし、その評価を受けるための人脈が希薄なため、それを広げていくのに時間がかかるという点では多少マイナスがある。
十分な学歴を有さずとも成功に至った人は少なくない。
学歴がないことでスタートラインのハンディを背負ったかもしれないが、それはあくまでスタート時点での差に過ぎない。個人の能力があれば、大きな違いではない。

あくまで個人レベルの成功を考えれば、上記のように学歴というのは僅かばかりのハンディキャップにすぎないと言える。

ただし、組織としての成功を考えれば少し事情が異なる。
組織としては個人レベルの成功は関係ない。
だとすれば、同質な組織に属する個人の総力が問題となる。
この場合には、組織の同質性を担保する意味での学閥は価値を持つだろう。
そのトップは個人の能力を超える大きな力と地位を手に入れることができる。
学歴は、出た大学の価値と言うよりは組織の結束力を保つための意味を持つ。

もちろん企業が全て同じ大学の卒業生で占められることは少ない。
だから、企業内の学閥と考えればわかりやすい。
それは内部抗争のための互助集団として役立つのだ。
もちろん企業だけでなく、各種学会などでも同じような傾向はある。

個人として評価されるためには、組織に埋もれることは必ずしも得策ではない。
それは企業から独立した人が最も感じることであろう。
企業における業績は、個人の業績とはあまり認められない。
それは、企業の信用というバックがあってこそ成立するものであると考えられるからに他ならない。
それだけ、組織の信用は大きい。学歴も一種の組織の信用に当たる。


こんな風に書いてきたが、それでもやはり社会は学歴的である。
学歴は大きな障害にはならないが、小さな障壁としてあらゆる場所に顔を出す。
それを気にせず乗り越えられるだけの度量があれば問題はない。
しかし、その煩わしさを受けたくなければ学歴を持つことに意味はある。
結局は個人の受け取り方次第であろう。

「学歴は披露するものではなく、利用するものである。」