Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

脳のカスタマイズ

スポーツにしても芸術にしても、あるいは職人などの技能者にしても、その技術をふんだん無く発揮させるためには身体に覚え込ませると言った繰り返しの訓練が必要だが、それは結果的に脳をその技術に適したようにカスタマイズしていることに繋がるのであろう。
脳の神経回路がどのように変化しているかは専門的な研究により明らかになるだろうが、それは単純な記憶への定着ではなくおそらく脳内で効率的に反応をショートカットさせる、あるいは必要なところを取り出して繰り返し反応させるなどの、脳内カスタマイズが為されているのではないかと思うのだ。
そして、この脳のカスタマイズが長い間続けば続くほどに本能に近いものとして定着する。何世代にもわたって続けばそれは民族や特定の人々の日常としても定着する。

最も単純なことで言えば、人は騒音や悪臭にもある程度までは慣れることができる。最初は耐えられないと思っていたそれらの生活公害が、時間経過と共に全く気にもとまらないものとなってしまうのはよく聞くことである。逆に言えば、騒音などで近隣に迷惑をかけるというケースは、程度にもよるとは思うのだが音そのものよりも心理的な側面が大きく影響しているのではないかと感じている。
実際、都市の騒音に慣れた人は自然に囲まれた静寂をかえって落ち着かないものと感じたり、綺麗な空気がpure過ぎてきつく感じられるケースすらある。もっともそれらの清浄さにはすぐに慣れることができるので違和感は最初のうちだけではあるが、この慣れると言うことも脳のカスタマイズの一つであろう。この場合は行動を早めるショートカットではなく、騒音や悪臭などを知覚する部位への意図的な情報遮断である。

物覚えが悪いとか不器用と評される状態は、この脳のカスタマイズが容易に行われないことになる。繰り返しの工程や、注意すべき勘所を意識してではなく無意識のうちに判断できるようになるからこそ、私達は効率的かつスマートに事象を処理できる。一般的に言われる脳の柔らかさ・柔軟さは、意識して行う判断や論理発展の柔軟さと共に、無意識を有効活用する脳のカスタマイズの容易さもあるのではないだろうか。
考えてみれば物事が上手く行かないという場合は往々にして意識して物事をこなしている。必死になって失敗しないようにと気配りをし、注意を払い、集中しようとする。しかし、意識すればするほどに上手く行かないのも世の中の常であろう。私達は、それを如何に意識せずに行えるかというチャレンジを常々行っているのだ。
繰り返しの練習とは、まさに無意識に刻み込むための強制的な特訓である。身体が覚えていると言われるが、現実には脳がその行動などに特化しカスタマイズされる。現実には身体は何も覚えない。

ではどうすれば無意識に刻み込めるかと問われれば、これはやはり難しい。おそらくは人によりやり方はいくつもあるだろうし、私の受験勉強における方法は音楽を聴きながらの繰り返しの書き取りだった。目と手と耳から繰り返し流し込まれる情報が、一定の脳内パターンとして定着する。もちろん音楽はおまけであるが、それ故に懐かしい曲を聴けば受験時代が思い起こされるのはカスタマイズされた脳が想起させる記憶である。
ただ、複数のことを意識しなければならない状態では技能を発揮するレベルにはなかなか至れない。