Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

執着心と依存心

捨てられない=執着心。。というのは、誰しも理解できるだろう。
執着心=こだわり、でもある。

別に三段論法を用いようと言うつもりはない。
なぜ、人は執着するのか? について考えてみたいと思ったのだ。

もっとも単純に答えれば、
「それが好きだから」
ごく当然。そりゃ、そのとおり!

では、なぜそれが好きになるのか?
そこには理由がない。。。多くの場所において言われていることである。

でも、ものを捨てられない人は多くのものを捨てられない。
捨てられる人は、多くのものを捨てることが出来る。
では、前者は好きなものが多くて、後者は少ないのか?
そう問われると、ちょっと違う気がする。

ものを捨てられる人が必ずしも情に薄いとは思わないし、ものを捨てられない人が気が多いとも限らない。少なくとも私の周りの人には当てはまらない。・・・そう見える部分がないわけでもないけどね^^;

人嫌いでも、ものに執着する人は少なくないだろう。場合によっては、逆相関があるかもしれないと思う。
だから、ものが好きだと言うだけでは足りないのだと考える。
好きだけではない何かを加えて初めて、執着が始まる。


私は、執着心と依存心が表裏一体だからではないかと思う。
執着するというのは単純に好きと言うだけではなく、それに依存する現象。
だから、こだわり捨てられない。
単に好きと言うだけでは切り捨てられない。

ものに依存しても、人に依存するとは限らない。
ものに依存することは、それを自己のアイデンティティーの一部として取り入れていることなのであろう。逆に、他人に依存してしまえば自己のアイデンティティーがその人に左右される。

もちろん、これは極論だ。
適切なコミュニケーションを取れる人でも、ものに拘る人はいくらでもいる。
だから、もののアイデンティティーが人のそれを支配することはあり得ない。
あくまで、個人のパーソナリティの一部を補完しているに過ぎないのだと思う。

その補完の度合いが高い人は、執着心が強い。
イコール、そのものへの依存心が高いとも言える。

別に、執着心が強いから問題なのではない。
それよりも、同時並行で進む依存心の高まりが大きくなりすぎるのが問題なのだと思う。
もちろん、それも程度次第。
普通の人は、そこまでどっぷりと依存するわけではない。

ただ、ある程度度を超えてしまえば、、、、マニアに走ったり、、、、
それが人に向かえば、ストーカーになったりするのだと思う。


いかん!?
ものが捨てられないから、ストーカーになるわけではないのであしからず。
でも、そこにある心理は同じようなものではないかとは思う。

「人の心は、一部を失えばその穴を別の何かで埋める。大切なのは何で埋めるのかではなく、埋めたという事実から逃げないことである。」