Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

食肉期限偽装の隠された問題点

 中国上海福喜食品が衛生管理や期限を偽装していた問題(http://www.yomiuri.co.jp/world/20140723-OYT1T50091.html)は、単純に中国の企業モラルが低いという問題には留まらず、悪意をもって厳格な管理システムに対応すれば予想以上に容易にそれをすり抜けられるのだという点に大きな焦点を当てるべきであろう。
 多くの日本人が考えるように、現時点での中国労働者が抱く職務倫理が日本やアメリカなどの先進国よりも平均値として低いのは間違いない。実際、日本でも戦後すぐの頃と今を考えれば明らかに管理に対する認識は異なる。中国の職業倫理意識は日本の何十年か前の時代と似通ていると言っても良い。
 今後中国のそれが日本とはいわずもアメリカ並みになるのかどうかは何とも言えないが、それでも多少の改善は見込めるだろう。もっとも、改善されたとしても日本人が期待するレベルにはおそらく届かないとも考える。具体的な理由を列挙できる訳ではないが、文化や価値観の違いがそこには大きく関係する。

 現状、多くの日本企業はコストの安さから現状において加工食品(冷凍食品や外食用食品)を中国に依存している(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140724-00000000-mai-bus_all)。昨今、中国の人件費がかなり上昇しているのは間違いない事実ではあるが、それでも一定量を一定品質で供給しようとすれば中国が最大の選択肢となる状況は如何ともしがたいようだ。この抜き差しならない現状は、ファミリーマート社長の発言にも表れてそれがネットの一部では大きな反発を呼んでいる(http://www.j-cast.com/2014/07/23211278.html)。
 仮に社会的な反発があってもこうした発言が出るのは、外食産業や加工食品の場合には世論の反発がそれほど明確な形で販売に現れないためであろう。そこには表示義務がない(あるいは曖昧なそれでよい)という大きな壁に守られているという安心感もあろう。
 他方では、生鮮食料品は近年外国産(中国に限らず)を避ける傾向が定着しつつあり、結果として生産地表示はかなり詳しくというか押し付けがましいと感じるほどに行われている。もちろんそれすら偽装されることはニュースで問題が取り上げられるたびに知ることになるが、あまたある偽装の一部が表出するという状況よりは、原産地表示制度がある程度機能しているからこその偽装ではないかと思う。

 外食・加工食品の匿名性に似た構図は、イオンのプライベートブランド(トップバリュー)などが原産国表示をせずに全てイオンが責任を持つとしているスタイルがある。こちらも、少し前に米の産地偽装(http://www.huffingtonpost.jp/2013/10/04/rice-4400t-aeon-_n_4041971.html)で大きな問題が生じていた。今回も、マクドナルドやファミリーマートなど大手企業が問題に関わっており、大企業が自らの厳格な管理システムを適用したとしても悪意(それが低い倫理観によるとしても)をもって対応されれば何の意味もなさないと言うことが明らかになりつつある。

 HACCP(http://ja.wikipedia.org/wiki/HACCP)という食品の品質管理に関する基準がある。かなり厳しい安全基準であり、日本企業でも全てが導入している訳ではないが(平成25年度で導入済みは20%強、大企業では高い導入率:http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/syokuhin_doukou2/gaiyou/pdf/25_haccp_kouhyou.pdf)問題の上海福喜食品はこれを導入していたとされる(http://news.livedoor.com/article/detail/9073205/)。ただ、見かけ上の導入をしておきながら実態ではそれを無視するというスタイルは中国や韓国社会ではポピュラーなものでもある。品質管理のためのシステムが、品質を偽装するために用いられていたというのだからこうした厳格な制度も悪意を排除できるものではない。
 コストを重視するがゆえに、多少の不良品が発生することに目を瞑るという方法も確かにある。品質や精度を向上させようとした時、そのチャレンジは無限に可能であるが、かかるコストを考えればどこかで落ち着かなければならない。

 例えば、金の品質を考えて純度99.9%と純度99.999999%では、0.1%程度の品質の違いしかないがそれを生み出すコストの差は何十倍あるいは何百倍にも及ぶであろう。品質とコストの折り合いをどこで付けるのかは常に問いかけられている問題でもある。ただ、それは先に品質確保という目的があってコストを考えたっ時にどこで妥協する(折り合いをつける)かという順序で決まる。
 今回の問題では、その順序が逆になっている。先にコストの要望があり、その後で一定以上の品質を保証しようという流れだ。もちろん企業がそれを認めることは絶対ないが、消費者側からすればコストが先にあることは問いかけるまでもない事実と感じられるであろう。

 その上で、中国企業の最も大きな問題は明確な悪意を持って今回のような行為を行ったということではない。わからなければ何をしても良いという彼らなりの常識がこの問題を生み出した。
 同時に日本(日本以外もあるが)企業のコスト優先で品質を後に押し付けるスタイルが持ち込まれたことにより、中国企業は更なる安心感を得ることができた。品質確保は当然として接しているつもりでも見かけ上はコスト優先なのだから、品質チェックさえすり抜ければよいと考える機会を与えることとなった。あたかも阿吽の呼吸のように、こうした意図しない共犯関係は形成されていく。お互いの常識に対する勘違いが生み出した喜劇であるとも言える。

 これを脱するには、中国企業が品質優先が企業使命だと認識する(これは従業員が認識するまで教育することお含めて)か、あるいは当初より悪意があるものとして発注する日本企業が監視を行うしかない。
 前者が軌道に乗るには文化そのものが変わることを期待しなければならずかなり長い時間が必要となるだろうし、後者を実施するには最大の目的であるコストダウンに支障が出る。おそらく中国政府を含めた形式的な指導や注意喚起により一時的には沈静(潜行)化するだろうし、また一部企業では厳しい管理が導入されるであろうが、それでも間違いなく今後も同じような問題は出てくると思う。
 世界の工場として低コストの生産という役割を与えられ、人件費が別の要件で上昇すればよほどの生産性の改善が行われなければ成り立たない。現状では、それを安全性を落とすことで短絡的に充足しようとしている。

 悪意をどのように捉えるかは難しいところであるが、製品を購入する側からすれば不十分な品質のものを納品する工場には悪意があると考えるのが普通である。しかし、文化や常識が異なれば消費者側からすれば悪意としか取れないような行為も、許容範囲内のものとして取り扱われてしまう。
 それでも今回のように露呈すれば問題として取り上げられるが、許容範囲内だと認識するが故に隠れしてしまっていることも多いであろうことも容易に推測できる。
 今後、世界的な金余りが物価の上昇を加速させたとき、おそらく中国において用いられているスキームには今以上の矛盾が広がっていくであろう。さて、企業はそのリスクをどのように織り込むべきか。その点を考えると、単純な不正を追及するよりも問題の根が深いことにため息が出る。