Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

違和感

横浜・踏切で救助死の村田奈津恵さん 機転でレールの間に男性運び助かる(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131003/dst13100312120001-n1.htm

 危険を顧みない勇気と献身性には深く感銘し、ご冥福をお祈りしたい。また、ご遺族の方々にもいつの日か心安らぐ時が来ることを強く望みたい。実現することはないだろうが、日本がこのような人のために生きる人たちで溢れていたならば、おそらく今よりは暮らしやすく心温まる社会であったのではないかと思う。

 さて、彼女の勇気ある行動に対して警察は表彰を計画しているらしい。このことについては私も賛成である。人命救助と言う容易にできないことにチャレンジされたことを、何らかの形であとに残すことには社会的意義があるだろう。
 ところで、告別式において政府の菅官房長官が弔問に訪れたそうである。別にこの行為自体を非難する訳ではないが、政府のパフォーマンスが過ぎるのではないかと少々気になることではある。ご遺族の方々にとってこうしたことは多少の慰めになるとは思うのだが、今回の場合の最も理想的な結末を考えると多少の違和感が残る。

 理想形は、救助が成功し二人とも生きて帰ってくることであった。もちろん、彼女が亡くなられたからと言って彼女の行った行為が何ら翳るものではないが、最もハッピーエンドは誰もが死なないことである。そして、仮に彼女が死ななかった場合に果たして官房長官は訪れただろうか。
 繰り返しになるが、訪問そのものが悪いことであるというつもりはない。ただ、悲劇的な結末を迎えたから弔問に訪れたのだとすれば、その政治的行為にはどのような目的が隠れていたかを勘ぐってしまうのである。これは自民党がそうと言うつもりはないし、民主党なら褒賞を与えるべきだとの声も出るかもしれない。彼女の行為は確かに尊いが、世の中にはそれと同じくらい尊い行いをしている人はおそらく少なくない。結末が悲劇的であったというニュース性が、政府を動かすほどに今回の事件の価値を高めてしまっているとすれば、その状況に違和感を感じずにはいられない。

 マスコミがワイドショー的に騒ぐのはそれも一つの在り方だろうし、テレビが英雄的に取り上げることも悪くはないだろう。ただ、この事件に人々が心を動かされるのは行為に悲劇性と言うデコレーションが塗布されているからであって、そこに公的機関が心情的に動かされるべきではないと考える。
 もちろん、英雄的行為に対して政府は冷たいなどと言う声も出るであろうが、心の部分に政府機関があまり立ち入ってはならないと思うのだ。
 仮に二人とも生還していたならばその方が素晴らしいことであったはずだが、この場合のマスコミの取り上げ方はおそらく今回よりもずっと小さかったであろう。結局、ニュースの衝撃性が彼らの価値を判断する全てであり、それと社会的な対応は異なるのが当然だろう。むしろ、政府や自治体などは双方とも助かった場合のようなケースこそをより高く評価して表彰するかを検討した方が良いと思う。
 ただ、現状ではそうなっていないところに私の感じた違和感の原因があるのだろう。