Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

ご当地グルメとオリジナリティ

 少し前からB級グルメだとか、○○選手権と言った感じで、日本全国のご当地グルメと呼ばれる変わり種料理がもてはやされるようになっている。B級グルメ自体にはそれぞれの料理ごとに好き嫌いもあろうが、重要だと思うのはモノマネではなくオリジナリティの追求がなされていることであろう。
 日本全国同じような店が展開し、同じような商品が売られている。もちろん、地元密着で展開している店も少なくないので、日本全国の商品が均一化しているわけではないものの、二番煎じどころかフランチャイズの広がりによる個性の喪失はやはり少なくない。

 地域の個性を守ろうという動きが全国各地で行われてはいるものの、どこかの地方都市に行ってもごく一部にこうした試みの成果が見られるだけであり、明確な地域性を実感できるケースは多くはない。だからこそ保有する観光資源などを最大限にPRする都市も多いのだが、これもそれぞれが歴史を押し立てれば残念なことにフランチャイズの均一化したパターンと変わらない売り出しになりかねない。もちろん、過去の歴史と風土の影響を受けて微妙な違いはあるのだが、マニアでもない限りその違いに思いを馳せることはないだろう。
 結果として、独自色を押し出せない状況が継続する。あるいはどこかの地域の成功例の辿った道をぞろぞろと追随する。それでも幾ばくかの成果を手に入れられるし、失敗の危険性は減る。ただ、それにより得られた成果は地域にどれほど役立っているのだろうか。

 こうした考えに思いを巡らせるとき、B級グルメのオリジナリティは非常に意味があるように思うのだ。二番煎じでは意味がない。発想は突然でかつ斬新だ。そして何よりも、自治体の力により為しえたものではない。もちろん、料理という比較的容易に生み出せるものだからこその可能性なのだろうが、このチャレンジ精神は非常に尊いもので大切にしなければならないと私は思う。
 同じと言えるかどうかは微妙だが、ご当地のゆるキャラが各所で乱立している。微妙に異なるこれらも一定のオリジナリティを発揮していると言えなくもないが、そのあまりの数の多さから食傷気味に感じる人もいるだろう。非常に個性豊かなゆるキャラ(そう呼ぶのが憚られるほどのものもある)もあれば、代わり映えしないものもあって確かにバラエティには富んでいる。
 ゆるキャラと呼ばれるご当地キャラクターの原点は企業や団体が用いてきたキャラクターがあるのだろうが(国体にも毎年キャラクターがある)、八百万の神を心に抱く日本の文化がその原点にあるようにも感じる。柳田國男(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%B0%E5%9C%8B%E7%94%B7)が見いだし、水木しげる(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B)が明示した妖怪もその流れの一端であろうし、今はやりの擬人化(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%AC%E4%BA%BA%E5%8C%96)文化も同根ではないかと感じている。

 それは、人間だけではなくモノや行為にもその存在意義を見出し、わかりやすい形で明示しあるいは伝える。難解さによる権威ではなく、万人に対する理解しやすさを優先した行為だと思う。その土壌は次々と新しいモノを生み出していく。
 ただ、個人的にはゆるキャラにもそろそろ限界が来ている感じもしている。「ゆる」という修飾語が指し示すように方向性が非常に限定されていることから、広がりが少なくなってしまっているためではないかだろうか。親しみやすさを追い求めるあまりに、自らその可能性を狭めていると言えなくもない。これは、B級グルメという名前により料理の格式や素材の高級さなどを取り払った姿勢とは若干異なるように思う。

 日本が地方から生き生きとしたオリジナリティに溢れた発信を行うためには、どちらかと言えばゆるキャラ的なスタイルよりはB級グルメ的なスタイルの方が良いように感じるが、どうだろうか。