Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

徳永エリ事件

 第二の永田メール事件との呼び声も高い出来事ではあるが、マスコミの報道しない自由の行使やゴールデンウィークに入っての情報のシフトにより忘れ去られてしまう可能性は高そうだ。この点を危惧する一部の人は、問題を闇に流してしまうのはよくないと指摘する(徹底追及すべき民主党議員「捏造質問」問題 - 多田 純也 :http://blogos.com/article/61619/)。
 私にはこれが捏造なのかどうかを知るすべもないが、事後の対応を見る限り根拠の薄い出来事を基にして総理を追求した出来事であった可能性は低くない。ただし、仮に本当に一部の拉致被害者家族が靖国参拝に不満を持っていたとしても、そのことを大ぴらにはできない状況にあるのも事実であろう。捏造というか不確かな根拠や噂を基に国会質疑を行った可能性は低くないと思うが、永田メール事件ほどのウソを証明するのもまた難しいのではないかと思う。

 さて、マスコミがこれを追求するのは報道の自由だろうが、自民党あるいは政権が追及するかどうかは情勢により変化する。民主党の信頼はすでに地に落ちており、いまさらこの件を利用したからといってその信頼をさらに低下させるメリットはそれほど高くない。逆に、その詰めを誤れば判官びいき的に同情の声が上がる可能性すら考えられる。すなわち決定的なウソを証明できないのであれば、追及することのメリットとデメリットを比較して有利な方を選択することとなる。私の感覚でいえば、追及のメリットはそこまで高くない。だから放置してもよいということではないが、雰囲気として民主党の徳永議員の質問内容には根拠がないのではないかという認識を世間に匂わせておければ十分ではないかと自民党側は考えると思う。
 捏造は国会質疑の信頼性にかかわる大きな問題であり、仮にそれが事実だとすれば議員辞職に追い込まれることも十分考えられる。しかし、今回の件でいうならばそこまで追い込まれることはないような気がしている。追求すべき責任を負うのは自民党や政府よりはジャーナリズムにあるべきではないだろうか。マスコミは編集権を振りかざすことにより報道しない自由を満喫できるというアドバンテージを有しているが、これは自由というよりは国の在り方を考えたときにマスコミに課せられた義務ではないかと思うのだ。

 こうして考えると、事件が今後どういう展開を迎えるかについては国会の信頼性を問う問題であると同時に、マスコミの義務を見直す良い機会でもあるのではないだろうか。とは言え、おそらく大部分のマスコミはスルーを決め込むであろう。危ないものには手を出さないという面もあろうし、あるいは一定の政治的バイアスがかかっているという面も想像できる。むろん、マスコミにはその自由が存在する。
 ちなみに、私自身は中国や韓国との国交を日本側から拒絶するような愚行はすべきではないが、だからと言って何でも反対する彼らにすり寄る必要もないというのが認識である。中国や韓国と仲良くできるのであればそれに越したことはないが、日本の考え方を過度に曲げてまでそれをする価値が現状では見いだせない。先日のASEANとの通貨スワップ合意など日本が今すべきことは着実に行えているのだから、徳永議員は最初から方向性を間違えていると思う。しかし、彼女の考え方も一つの意見であり日本においては尊重されるべきものでもある。私とは認識が異なるが、その考えを表明できる自由が日本にはある。そのことが大切なのだ。
 その上で、こうした国会議員の質疑内容が一部の人の権利を害する場合にどれだけの責務を負うかについては、別途判例などによる積み上げが求められる。多くの場合には、事実だとすれば倫理面より議員辞職を選択することになるだろうが、このあたりの法的根拠については諸説もあろう。

 さて、この問題よりも現状においてビビッドなのは川口順子環境委員長の解任決議であるが、不思議なのは朝日新聞毎日新聞ですら野党の姿勢を擁護していないことである。事の顛末について現状ではどのようなやり取りのもとで決まったのかが不明であるが、おそらく感情的なねじれが根底にあるのではないかと想像している。丸く収める手腕を自民党側が発揮できなかったこともあるかもしれないが、正直稚拙な内容であってどうでもよい。
 今回の件でいえば、事の真相は不明だが構図的には野党側にメリットはそれほど無いようにも思えるが、どういった算段を基に解任手続きを進めているのかは興味深い。委員長解任は初めてのことらしいが、私としてはそれが政党支持を高めるようなきっかけになることはないと思う。むしろ無力感に苛まれている野党側が自分達の存在感を主張するために行った無軌道な行為であったならば、ダメージは攻め手に残る。
 要するに、この話題は両者ともさほど重要ではないということでもある。