Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

さもしさ

アルジェリアの事件被害者の実名報道について、世論と報道側の意見が真っ向から対立している。朝日新聞は、実名を出さずに了解を得なければ報道しないという約束を反故にして実名報道に踏み切ったと、取材を受けた家族が避難している状況だ。
政府は、今のところ日揮とその家族の意向を受けて発表しない姿勢を貫いている。もちろん、それはあくまで現時点はと言うことでもある。

被害者の実名 思いを共有するために (http://www.shinmai.co.jp/news/20130124/KT130123ETI090002000.php
アルジェリア人質事件、実名報道に遺族関係者から異論「『実名は公表しない』と取材受けた」(http://www.rbbtoday.com/article/2013/01/23/101659.html

さて、報道側は悲惨さを共有するためという道義的な題目をたてて実名報道を主張しているが、問題は実名を出すかどうかにある訳ではない。それを今すぐ行うかどうかが問題とされているのだ。
大きな事故の場合には、誰が犠牲者になったかが家族にとっても非常に曖昧で安否確認の重要性から早期の氏名確認は重要となると思う。例えば、今回の事件が観光地で発生して多くの観光客が巻き込まれていたとすれば、早期に犠牲者の名前は公表されるべきであると考える。それは、被害にあったかどうかわからない旅行者の家族に情報を提供するという役割があるためだ。
しかし、今回の場合はおそらく日揮の関係者のみが犠牲者であって、その生死情報は錯綜しているかも知れないが、誰が関係者たり得るかは既に家族も知っている。だとすれば、それ以上の情報を早期に公開する必然性は社会的にはない。
あるとすれば、マスコミ・報道側の論理としての側面となる。たしかに、政府が情報隠蔽を頻繁に行い始めたとすれば、そのチェックにより政府を批判するのは報道機関やマスメディアの責任である。そのことは担保されて然るべきだと思うが、それは事件後即座である必然性がない。
ネットで曖昧な情報が錯綜していると言うが、現状ではネット上でも犠牲者の氏名公表にはどちらかと言えば否定的な意見が多いように私には感じられる。もちろん、それはマスコミの勝手な氏名公表に反発してと言う側面も少なくないと思うが、私自身今回のマスコミの犠牲者氏名の早期公表を要求する声明などは疑問を抱かざるを得ない。
2〜3週間経っても公表されないというであれば、早期に公表すべきと言う声が上がることもおかしな話ではないが、今であることに疑問を抱くのだ。

しかも、朝日新聞が遺族との約束をおそらく破ってまで報道したと言うことは、未確認情報ではあるもののマスコミ側は実質的に既に多くの情報を得ているのであろう。すなわち、政府に早期の公表を要求するのはそれによりお墨付きを得たいという責任転嫁でもある。
本当にその公表が社会的に重要なことであって、政府の隠蔽が目にあまるものであるならば、政府にそんな要求をする必要など無いではないか。報道の自由は約束されているのである。問題となる内容に深く切り込んだ記事に意味があるとすれば、それは国民にも支持されるであろう。
今回のメディア側からの犠牲者公表を要求する姿勢を見て、結局は記者クラブに代表されるような自分の責任を回避する姿勢が染みついているのだなとまず思った。仮に政府が早期に公表していて遺族が反発していたならば、早期公表の是非を問うていたのは想像に難くない。結局やっていることは、報道という自分のテリトリーについてまで責任転嫁をこっそりと図っている、「さもしさ」のみが強く感じられる一連の流れであったなと思うのだ。